《MUMEI》

暫くそのまま、漸く視線だけ上げロンの様子を窺ってみれば穏やかに笑んだ横顔
その表情に安堵の溜息を吐いた斎藤だったが
すぐに、痛々しく千切られたままの左腕に眼が行った
「……治せれば、良かったのに」
独り言の様に呟けば、ロンが何の事かと斎藤を見やる
斎藤は答えて返す事はせず、無くなってしまったロンの左腕のソコへと触れた
「お前が気にする事じゃないだろうが」
手が汚れるから離せ、とのロンへ
斎藤は嫌々と首を振りながら
「だって、痛いもん。絶対、痛いもん」
子供の様に泣きじゃくる
夢の中ならば、これ位叶えてくれても良いのに
思い通りにならない事に、自分勝手に腹を立ててしまう
「……本当に、お前は」
更に泣く事ばかりしてしまう斎藤へ、ロンは苦笑を浮かべると
その身体を腕の中へと引き寄せた
「痛くはないから、そんなに泣くな」
何とか泣き止ませてやろうと何度も斎藤の髪を梳く
暫くそうされている内に、段々と斎藤も落ち着きを取り戻し
まだ肩をしゃくり上げてはいるものの、泣き止む事が出来ていた
「……お前は本当に難儀な娘だな」
「……ごめん」
深々頭を下げ謝ってやれば、ロンは肩を揺らし
謝る必要はない、と言ってやりながら、徐に斎藤を肩の上へと担ぎ上げる
突然のソレに驚いた斎藤へ
「生憎と片腕がないんでな。ぐつが悪いかもしれないが我慢しろ」
それだけを言うとロンは黒の中を歩き始めた
何処へ、行くのだろう
進めど進めど黒しかないその中を
ロンはまるで目的地でもあるかのように迷いなく進んでいく
「……ここから、出れるの?」
何となくそう訪ねてしまえば
ロンは前方へと顎をしゃくり、見てみる様促してきた
何かあるのか
言われた通りに前を見やれば其処に
大量の白い羊が、まるで山の様に身を寄せ合いそこにいた
「あの子たち、何、してるの?」
何かしているだろうことは解るのだが、その実は解らないまま細かく動く羊たち
その様子を見ようと僅かに身を乗り出した、次の瞬間
ロンが斎藤の身体を、羊たちの上へ荷物宜しく放り投げていた
「わっ!」
行き成り何をするのかとロンを睨み付ける斎藤
怒鳴ってやろうと口を開き掛け、だが見えたソレに斎藤は言葉を忘れてしまう
「……なんで、薄いの?」
其処に居る筈のロンの姿が酷く薄い
近くに居るのに遠く、見えているのに触れられない
何故、どうして
驚きに眼を見開いてしまえば
「……そんな顔をするな。唯、夢から覚めるだけだ」
動揺してしまっている斎藤へ
ロンがこれ以上無い程柔らかな笑みを浮かべて見せる
夢から、この悪夢から覚める
喜んでいいはずのソレを、斎藤はどうしてか心から喜べない
何かが、欠けている。たった一つ、大切な何かが
「……もう、悪夢には捕らわれるなよ」
行け、と羊たちへと顎をしゃくれば
羊たちは斎藤を上に乗せたままその場から走り出した
遠く、薄くなっていくロンの姿
また、斎藤の頬を涙が伝っていく
このままこの夢から覚めてしまえば、もう会えない
「……そんなの、嫌だ」
せめて夢の中でならば、また会えるのだろうか
今ここでソレを望めば、この男は自分の夢の中に現れてくれるのだろうか
怒鳴る様に訴えてみたソレに
ロンが笑みを浮かべて見せた、様な気がした
それは一体どちらの意か
問い質してやりたいのに、もう声は届かない
ロンの姿は完全に消え、その気配さえもなくなってしまっていた
そして同時に白濁へと染まっていく斎藤の視界
夢から、現へ
まるでソレを知らせるかの様に、意識さえも段々と白に染まる
ずっと、早く目が覚めればいいとばかり願っていたのに
今は、よく分からない
「……だけど、もう目、覚まさないと、だね」
何時までも此処に居る訳にはいかない、と
斎藤はそのまま眼を閉じ、一人その時を待ったのだった……

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