《MUMEI》

 聞こえてきたのは、耳に馴染んだ携帯のアラーム音だった
ゆっくりと目覚めれば、そこは見慣れた斎藤の自宅だった
「……本当に、夢だったんだ」
身を起こし、辺りを見回せば何の変化も無く
唯一つ、テーブルの上に二人分の食器が並んだままになっている事に気付き
あの夢は現実だったのだと実感する事が出来ていた
「……」
ベッドから降り、ソレを片し始める斎藤
ついでに同時進行で朝食も作り、そして食べ始める
外からの音も少ない朝
何となくテレビを付け、その上に表示される時計を見れば
「もう行かなきゃ」
始業時間が差し迫っていた
朝食の片付けは適当に、斎藤は家を出る
「あ、おはよう御座います」
出たと同時、隣人の青年に出くわした
一瞬だけ、早くなる脈拍
だが向けられる表情は青年そのもののソレ
安堵なのか、落胆なのか解らない溜息を気付かない様に吐いてしまえば
ふと青年が三角巾を首から下げ腕を吊っている事に気が付いた
包帯の巻かれた左腕
「それ……。その怪我、どうしたんですか?」
偶然の一致なのだろうそれが酷く気に掛り、つい尋ねてしまう
青年は照れたように笑みを浮かべて見せると斎藤を手招く
耳を貸せ、と青年は唇寄せながら
「昨日、階段から落ちちゃって」
恥ずかしいからあまり見ないで欲しい、と更に照れた様な顔
矢張り関係などありはしないのだと
解ってはいたが寂しさを覚えてしまう
「気を、付けて下さいね。怪我は、痛いですから」
負う方も、見ている方も
言いながら、斎藤の脳裏には血に塗れたあの時のロンの姿が過る
大丈夫、だったのだろうかと
「じゃ、私、学校あるから」
行きますね、と踵を返す
これ以上ここに居て、この青年と話していたら思い出してばかりになる
泣いて、しまいそうになってしまうと歩き出した、次の瞬間
「……頑張ってやった私に、労う言葉位ないのか?」
全く別の声が、斎藤の耳を掠めた
弾かれるようにその声に向き直ってみれば、青年の表情が明らかに違って見えた
「……ロン、なの?」
そんな筈はないと思って居るのに、つい問うてしまえば
青年は僅かに肩を揺らすと斎藤の傍らへと近く寄り
右手で頬へと触れてきた
「よく泣く……。お前は本当に難儀だな」
何度も頬を手の甲で拭われ、漸く斎藤は自身が泣き出してしまって居る事に気付く
欠けていた何かが、埋まった様な気がした
「……お帰り、ロン」
メリーが夢の一部である様に、この男も自分の夢の一部だ
欠けてしまえば何も見えなくなってしまいそうだから傍に在ってほしい、と
ロンの身体を抱き締めてやりながら伝える事をしてやれば
「……お前の夢の中は、居心地がいいからな」
そうしてやるつもりだ、との返答に
斎藤は涙に顔をぐしゃぐしゃにしながらも、満面の笑みをロンへと向けたのだった……

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