《MUMEI》 秘密の場所. 「しんどい」 私のお気に入り、誰にも教えない秘密の場所。――屋上を入ってすぐ傍にある鉄の梯子。そこを上れば、この学校で1番高い所に到着する。その生温いコンクリートの上に足を延ばして座りながら、私は空を仰いでいた。そろそろ梅雨入りするからだろう、真上には私の心をそのまま表現したような曇天が広がっていて。厚く暗い雲を眺めながら、私は独り言を漏らした。 笑顔の仮面を付けていれば、大抵のことは上手くいく。それでも、自分を完璧に抑えるのは無理があって。面倒臭くて堪らなくなった時は決まって、ここへ足を運ぶのだ。校内一、空に近い所にいると解放感に浸ることが出来る。ここは私が、"私"でいられる唯一の場所なのだ。 「何がそんなにしんどいの、お嬢さん」 「ッ!?」 独り言のはずだったのに、何故か返答があった。ビックリして声の聞こえた方を向けば、梯子を上っている最中だったらしく、相手の頭だけがこちらを覗いていた。茶色くて柔らかそうな髪の毛がフワフワ揺れている様を凝視する。やがて梯子を完全に上り切ったその人物は姿を現した。 「浅倉(あさくら)先生、ですよね?」 「正解」 確認してみると、彼――浅倉 陽介(ようすけ)先生はにこりと綿菓子のように微笑んだ。そして、どうしてか私の傍まで歩み寄ってくると、ストンと隣に腰を下ろした。 何か話でもあるのかと思い、待ってみるものの、先生は無言だ。私も何を言って良いのか分からず黙っているため、妙な沈黙が生まれる。しかし、自分から話しかけようとは微塵も考えなかった。私の唯一の場所でまで気を遣うのは億劫だったのだ。それにこの人は何となく苦手だと居心地の悪さを覚えていると、先生が切羽詰まったような表情で漸く口を開いた。 「煙草吸っても良い?」 「はあ……どうぞ」 「サンキュ、もう本当に限界なんだわ」 了承すると、先生はすぐにポケットから潰れた煙草の箱とライターを取り出した。一刻を争うという風に箱から1本煙草を抜き取ると、今度はライターに手を掛ける。そろそろ使い切るのだろう、カチカチと火を付ける動作を繰り返している。やがて無事に着火すると遠慮なく煙草を吸い始めた。深く息と煙を吐き、「うめえー」とうっとりとした声を漏らしている。 「やっぱり食後の一服ってのは美味いよな」 「そうですか」 「ああ、ただでさえ今日、吸ってなくてイライラしてたから尚更。まさか、こんなところに人がいるとは思ってなかったけど。俺の秘密基地だったのに」 「…………」 煙草を吸うと本来の調子が戻ってきたのか、先生は饒舌だった。その所為で知らなくて良いことを知ってしまった。――最悪だ。既にこの場所は他の誰かの物だったのだ。それにも関わらず、自分だけの物だと思っていた私は何て馬鹿なのだろう。 前へ |次へ |
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