《MUMEI》
家庭環境
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もう嫌だ。もう一言だって喋りたくない。

校門を出た時は、まだ昼と同じように厚い雲が空を覆っているだけだったのに、帰路を行く際はシトシト雨が降っていた。そんな中を私は15分ほど傘も差さずに歩いた。

折り畳み傘は実は持っていた。ただ、亜梨沙が「ヤッバ! 傘ないし、最ッ悪!」なんて喚くから貸してやったのだ。バケツを引っ繰り返した、と表現されるような土砂降りではなかったが、私の2倍以上の時間を歩かなければならない彼女を思うと少しだけ同情してしまった。

「ありがとー」と、はにかんだ彼女の言葉は他意のない心底助かったという純粋なもののような気がした。だから、特に悪い気分ではなかった。それに、今すぐにでも偽りの自分を洗い流してしまいたかったので、濡れる口実も出来てかえって良かったのだ。

雨はそれほど嫌いではない。顔や身体に張り付く髪の毛や制服は気持ち悪いが、しがらみ全てを削いでくれるような気がするから。それなのに今、惨めだと感じてしまうのは私の精神的なところからきているのかもしれない。

2階建てのアパートのギシギシ軋む階段を上っていけば、203号室――自宅に辿り着いた。鞄から鍵を取り出して鍵穴に差し込む。数秒後、ガチャリとドアノブが回った。

ローファーと黒のハイソックスを脱ぎ捨て、玄関に置いてあるタオルで頭を軽く拭いてから家の中へ入っていく。返事なんかある訳がないのだから、ただいまなんて言わない。そうして自分の部屋に行くより先にリビングへ足を向けた。

「今日は、肉じゃがか……」

テーブルの上の綺麗にラップがかけられた皿を見て、ポツリと呟く。添えられているチラシ……の裏の走り書き、温めて食べてねという母親の言伝にも目を通す。

わざわざ作らなくたって良いのにと思いながら、今度は浴室へ向かった。雨に当たっているのは心地好かったが、身体は芯から冷えきっていた。湯を張る準備をしている際に、鏡に映った自分の顔は蝋人形のように白く、表情は固かった。

私はこのアパートに母親と2人で暮らしている。両親は2年ほど前に離婚して、私は母親についたからだ。生活費を稼ぐために、母親は父親と別れて間もなく仕事を始めた。午前中から夕方にかけては近所のスーパーで、夜は居酒屋で寝る間も惜しんで働いている。

父親は、定期的に決まった額を銀行口座に振り込んでくるので養育費に問題はない。それは唯一の救いだった。

私の弁当や夕飯なんか作る暇があるのなら、少しでも睡眠を取れば良いのに。私だって凝ったものは作れないけれど、簡単な料理なら出来る。そう言ってみても、母親は静かに微笑むだけで。それならばと、自分もバイトすると言ってみるが、それも笑顔で断られてしまう。母さんなら大丈夫よ、と。

それは嘘で塗り固めた自分の笑顔とはまるで違う本心からの笑みだから、何とも言えなくなってしまう。しんどいはずなのに彼女がどうして純真無垢でいられるのか分からない。

母親のことを考えているうちに、準備が整ったので蛇口を捻り、浴槽に湯を張り始める。

本当はカラオケなんて行ってる場合なんかではないのに。あんなもの私からすれば、時間と金の浪費にしかならない。「ストレス発散!」なんて亜梨沙達は言っていたが、自分にとってはストレスの原因になりかねない。

カラオケは散々だった。歌ったり踊ったり飲み食いしたりと大いに盛り上がったのだが、それに反比例して私の気分は冷めていった。上辺だけはしゃいで見せて、その癖内心は全然違っていて。それでも、独りぼっちになるよりはマシだと臆病な自分がいるのも否定出来なくて。

すぐに入浴出来るように、準備しておこうと私は浴室を出て、自分の部屋へ向かった。「阿呆らし」と途中で吐き捨てた言葉は、亜梨沙達ではなくて自分自身を蔑んだもののように聞こえた。

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