《MUMEI》

広々としたコンクリートへ下りても、近くに先生の姿が見当たらない。キョロキョロと辺りを見回すと、給水塔の傍の丁度軒下のようになっている場所に先生を見つける。ホッとしたことを見透かされないように気を引き締めながら、私は先生の元へ早足で向かった。

「どうしたんですか? いきなり……」

先生の隣に立ち、尋ねたその瞬間、ザーッと雨が降り始めた。槍のように激しい雨で、足元ではビチビチと雫が勢いよく跳ねている。

「雨が降るなとは思ったんだけど、」

想像以上だったのか「うわ、」と先生は目を丸くしている。

「先に言って下さいよ! そしたらここから出てたのに」

「雨宿りは出来てるから良いじゃん」

にこり、と無垢な笑顔を見せる先生に、一気に脱力する。何でこうもマイペースなのだろうか。真逆に位置しているドアは大分遠く、大人しく雨宿りする方が得策だ。

「有り得ない、」と呟いていると横から長方形の細長い箱を差し出される。ガムの箱だ。「お一つどうぞ、」と勧められて素直に一つ貰った。銀の包み紙を開き、四角い固体を口に放り込むと一気に噛み砕く。

「んッ!? な、何これ……」

「超強力☆ハイパークールミント」

「眠気も吹っ飛ぶし、鼻の通りも最高だろ?」と何故か誇らしげに説明される。目の前に再び出された箱を確認すると、確かに先生が口にした商品名がキラキラした文字でプリントされていて。可愛いパッケージに騙されて買うと、痛い目に遭うだろうなと思う。そして、眠くもなければ鼻も詰まっていないので、口内はただただ辛いだけだった。

「これで、あいこだな」

「え?」

「涙目。さっき俺、目撃されてちょっと恥ずかしかったから仕返し」

「何、子供みたいなことやってるんですか!」

「ふん、ミントに泣かされてる子供に言われたくないね」

自分の左目を指差して、悪戯が成功した子供のように笑ったかと思えば、今はそっぽを向いて唇を尖らせている。私はと言えば、始終右手を口元に当てたまま何とか反論していた。溜息と共に肩を落としながらも、すぐにガムを出してしまうのも悔しくて辛さを我慢して噛み続ける。

「こりゃ、遂に梅雨入りか」と篠突く雨を眺めながら先生は独り言を漏らしていて。そんな折、「そういえば、」と激しく降る雨音に掻き消されてしまいそうな声量で先生は告白した。

「本当の中原って、どんな奴だろうって思ってたんだよな」

「何、ですか、いきなり……」

「いや、ずっと思ってたよ。作り上げてるって感じで、本物なんていやしないって」

何だ、嫌味か? その割に爽やかな声色に意図が読めずに黙り込む。意外過ぎる台詞にガムを噛むことすら忘れていた。きっと私は、この前の先生のようにどう反応して良いのかわからないという顔をしているのだろう、先生が笑むのを空気で察した。

「やっと見えた気がした」

やっぱり私は何も言えなかった。先生もそれ以上は何も喋らなかったし、新たな話題を出してくることもなくて。それから数十分、私達はただ静かに雨が止むのを待っていた。

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