《MUMEI》 雨上がりあれから雨は、激しさを増しながら30分ほど降り続いた。通り雨だったのか、今は嘘のように青い空が広がっている。ゲコゲコとどこかで蛙が鳴いているのを耳にしながら、私は帰路を歩いていた。 あんなに饒舌だったのに、"本当の私"のくだりから先生は別人のように静かだった。ニコチンでも切れたのかと思いながらも、煙草吸わないんですかとも訊かずに私もただ無言だった。 「中原さん……?」 不意に後ろから呼ばれて、誰だと散漫に振り返る。すると、白いトートバックを片手にこちらへ近寄ってくるエミリがいた。大した接点もないのに公道で声をかけられたことに内心驚きながらも、バックに視線を移せば醤油らしきものが入っているのが見えた。 「お遣い?」 「そんなとこかな。中原さんは今、帰り?」 「うん、そう」 愛想もなく頷く。普段ならば作り笑いの一つでもして、適当なことを言うだろうに、そんなことはしなかった。取り繕う必要のない先生とさっきまで一緒にいた所為で面倒になっているのか、それとも無理していそうだと見抜いてきたエミリの前だからか、自分でも理由は分からなかった。 私は今、ムスッとしているはずだが、気にしていないのかエミリはニコニコと上機嫌だ。何だと訝しんでいる私を察したのか、彼女は口を開いた。 「スーパー行ったら卵が特売にかかってたの! 今日、チラシ見てなかったから、凄く嬉しくて」 「3パックも買っちゃった」と、はにかむエミリを前に、私は目を丸くした。それだけのことに大袈裟なっていうか主婦かよ、と心の中で毒突く。あまりにも所帯染みている。亜梨沙達に同意するつもりはないが、エミリという名が可哀想な気がしてならない。 そんなことを思いながら、私は自宅の冷蔵庫の中身をぼんやりと遡っていた。結果、今朝食べた目玉焼きに使った卵が最後の1個だったはずだと気付く。そして、ここ最近の母親は特に多忙を極めていて、ろくに買い物をしていないことも嫌というほど知っていた。 「それ、どこのスーパー?」 「駅前だけど……。でも、多分売り切れたんじゃないかな?」 「混んでたし」と申し訳なさそうなエミリに「あ、そう……」と淡白な返事をする。そこまで執着してはいなかったので、それなら仕方がないとあっさり納得がいった。そんな私をどう取ったのか、唐突にエミリはトートバッグの中に手を突っ込んだ。数秒後、私の前には卵のパックが差し出されていて。 「1パックお裾分け」 「良いよ、悪いし……」 「安いからついつい買い過ぎたの。だから、貰って?」 「お金も取らないし」と茶目っ気たっぷりなエミリに毒気を抜かれる。「ありがとう」と素直にそれを受け取れば「どういたしまして」と彼女は笑った。 前へ |次へ |
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