《MUMEI》
ネクタイ
意外に不器用だったんだなと先生の新たな一面を知るも、見ていられなくなって、私は口と手を出していた。「おお、サンキュー!」と先生は嬉しそうに少しだけ屈んでくれた。迷いなくネクタイの結び目に手を伸ばすも、フワリと鼻孔を擽ったコーヒーと煙草の匂いに、意外と距離が近いことを悟る。

「中原? どうかしたか?」

「あ、いえ……どうもしてないです」

ピタリとネクタイの結び目にかけた手が止まる。それに気付いたらしく、先生の不思議そうな声が上から降ってきた。平然としている先生を前に、一瞬でも意識してしまった自分が悔しかった。

「先生、」

「んー?」

「私、ハブられたみたいです」

「は? 何で?」

ああ失敗した。気を紛らわそうと話しかけて、これはこれで心臓に悪いとすぐにまた後悔する。話す時の先生の息が、手にかかるのだ。咄嗟に手を引っ込めたくなったが、何とか耐える。

要は、とっととネクタイを整えてやれば良いのだ。そうしたら、通常の倍くらいの速さで鼓動する心臓や小刻みに震えている手の理由なんか考えずに済むのだから。

「潮時、だったんだと思います。今朝、腹が立つことがあって、それをそのまま、ぶちまけたんです」

「今朝、1年が派手に揉めてたって聞いたけど、もしかしてそれ、中原?」

「さあ……。それは分かりませんけど、揉めたのは事実です」

それから、パパッと事務的に手を動かして目の前にある曲がったネクタイを真っ直ぐにしてやった。「出来ました、」とポンッと先生の左胸当たりに軽くタッチする。

「サンキュー。中原、凄げぇな」

「誰だって出来ますよ。てか、先生が不器用過ぎるだけです」

ピシッと最初よりも決まっているネクタイを見て、先生は感服したようだが、こんなの何でもない。憎まれ口を叩くと、先生が存外優しい目をしていることに気付く。何だと僅かに眉を顰めた私に向かって先生は静かな声で訊いてきた。

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