《MUMEI》
居場所
腕時計もしていなければ、携帯電話も教室に置いてきてしまった。だから、時間が分からない。分からないけれど、恐らくはもう放課後の時間帯だろうと推測は付いた。

この裏からはだんだん間隔を狭めてきた雨にも負けない熱心な運動部の掛け声が聞こえる。吹奏楽部や合唱部などの演奏も微かにだが耳に入ってくる。それでも、私は自分だけが別世界にいるような気分だった。

流石に今、雨に濡れるのは嫌だ。家に帰る過程で濡れるのならどうだって良いが、ずぶ濡れで校内を歩かなければならないのは惨め過ぎる。

弁当箱の包みを掴み、フラリと立ち上がる。ずっと同じ姿勢でうたた寝なんかしていた所為だろう、身体中がギシギシと悲鳴を上げていた。

両腕を空に向かって伸ばしたり身体を思い切り左右へ捻ったりすると、筋が伸びているのを感じて心地好い。が、その仕草に思い当たるものがあって、ピタリと動きを止めた。……無意識に先生の面影を追っているような自分が悲しい。

誰でも疲れれば取る仕草だ、とかぶりを緩く振って脳内に浮かんだ記憶を追い払う。本降りになっている雨が辛い。スタスタと梯子まで歩いていき、後ろ向きになって下っていく。――しかし。

「痛……ッ!」

ドサッと音がして、ビチャと小さくも不快な音が続く。思考をクリアにすることに必死だった私は、今の状況に対して注意を怠っていた。雨で滑りやすくなっていた鉄の梯子から足を滑らせ、直下してしまったのだ。手から放れた弁当箱がカラッと虚しく転がる。

立たないとならないのに、力が抜けてしまったのか、そんな気が失せてしまったのか、私は座り込んだままだった。湿っているコンクリートや降り注ぐ雨は私の身体をジワジワと濡らしていく。

そんな中で、私は寒さや怯えとは別に肩を震わせていた。無性に可笑しくて、可笑しくて笑いが込み上げてきたのだ。クスクス、クスクスとくぐもった笑い声が零れ落ちる。

――ねえ、先生。

先生とのお喋りは、皮肉ばかりだったね。

でもね、その時間は不思議と嫌いじゃなかったよ。

だって、いつの間にか私の居場所は屋上ではなくて、

――先生の傍になっていたから。

「馬ッ鹿みたい……」

どうして今頃、気付いてしまったのだろう。先生の傍が一番居心地が良いなんて。

「中原さんッ!?」

待っている人は来る気配なんかまるでないのに。私を呼ぶ悲鳴じみた声を雨音と共に聞いた。

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