《MUMEI》

黒くどろどろとした何かを全身に纏ったその姿
指先は当に黒に溶け、段々とヒトの型を失いつつある
ソレは自らが望んだ事なのかを問いただしてみれば
「これは、日和様が与えてくださった安らぎ。いいものですよ、とても静かで」
悦に入った表情を浮かべて見せる
何を言っても最早無駄
なんの進展も見せないこのやり取りに播磨は派手に舌を打った
「自分じゃ埒があかん。其処退けや」
「ソレはできません。あなたは夜を汚そうとしている」
それだけは許されない、とあいては刃物を振り上げ播磨へと振り下ろす
避ける事はできた、だが敢えてソレはせず
肩口に深々とその刃をいただいてしまう
「下っ手くそ。自分、ヒト刺した事ないやろ」
頬へと飛び散った自身の血をぬぐいながら吐き捨ててやれば
播磨は徐に腰に帯びている脇差に触れた
「人間刺すってのは、こうやんねん」
そのまま相手を刺し抜いていた
ちょうど、心臓の在る位置
肉を刺した感触の後、その黒い塊が音を立て倒れこむ
矢張り、これはまだ人間なのだ
「……本っ当、嫌やわ」
黒々としたそれから流れ出す赤黒い血液
赤ばかりが濃く、脳裏に焼き付く
これ以上この現状に日和を置いておくわけにはいかない
播磨は倒れたままの黒いソレへと一瞥を向けると歩き出した
上へ上がれば上がって行くほど
黒は濃く、空気が重苦しくなっていく
このまま肺が押しつぶされてしまうのではと感じるほどの圧迫感に何とか耐えながら
目的の部屋、その襖へと播磨は手を掛けた
開かれた襖
其処に広がる深い(夜)の中、日和が身を横たえている
「……は、りま」
虚ろな表情で播磨を呼ぶ日和
播磨は短く何だを返してやりながら、その黒の中、日和へと近く寄った
「姫さん。これ、一体何なん?」
側へと片膝をつき、窺う様に顔を覗き込んでやれば
日和の口元が歪な弧を描き、播磨へと手を伸ばす
「……これは、(夜)。ヒトの、(欲)の形」」
「欲の形、か」
ヒトの欲とは随分とおどろおどろしいものだ、と播磨は舌を打つ
触れてくる日和の手を退けてやり、徐に立ち上がると
辺りの黒を改めて見回してみる
「……これ全部が姫さんの(欲)って訳か」
自分の指先すら見えない程の深い(夜)
これ程までに強い(欲)を一体どれ程の間ため込んできたのか
その原因は恐らく自分に在るのだろうと、播磨は溜息を深く吐いた
「……どうしたい?話してみ」
聞く事位はしても構わないだろうと、播磨はまた日和の前へ片膝を付く
髪を指で梳いてやり、話してみる様促してやれば
「……ずっと、寂しかった。一人の夜はいつも寂しくて」
日和がゆるり語り始めた
「いつまで待っても播磨は来てくれなかった。だから――!」
だから常に傍にある(夜)がほしくなってしまったのだと
日和の頬を涙が伝っていく
「播磨が、悪い。播磨が悪い、播磨が――!!」
播磨の着物の袷を掴み日和は叫ぶ
日和の感情が高ぶれば昂る程に
(夜)もその深さと暗さを増し、辺り全てを飲み込んで行く
「姫さん、落ち着きぃや!!」
手足に絡む様に纏わりつく黒を振り払いながら
播磨は日和をその腕に抱え込んでやった
「は、なして……。離してぇ!!」
抱いているはずの日和の身体
だがその身はすぐにドロリとしたソレに変わり
(夜)へと混じり合いながら播磨の腕からすり抜けて行く
「もう、嫌。どうせ、私は一人。だったら ――」
言葉を最後まで言うこともなく、日和の姿はどろりと消え
そのまま完全に(夜)に溶けてしまっていた
「……また、駄目やったか」
何故、あの手を掴む事ができないのだろう
結局、自分はあの頃と何一つ変わってはいないのだと
播磨は憎々しげに舌を打つ
「……何故、今更日和様に関わろうとするのです?」
何が出来る訳でもなく、仕方なしに踵を返した播磨の背後
重むろな声に播磨は脚を止めた
向いて直ればすっかり見知った顔、だが相手にする気にもなれず
播磨は睨むように一瞥を向けただけで歩き出していた
「……うっさいわ。ボケ」
返してやったのは吐き捨てる様なその言葉だけ
相手の気配をそのまま背後に感じながら
播磨は足早に帰路に就いたのだった……

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