《MUMEI》 アレキサンダーの顔に、玉の汗が多量に吹き出していた。 老人の口から驚くほど長い舌が伸びると、アレキサンダーの恐怖の汗を下から上へ、ゆっくりと舐(な)め取った。 その舌は鋸歯状(きょしじょう)の突起で覆われ、とても人間のものには見えなかった。 「だったらサクサク会議を進めろよ、 なぁ、議長」 きしゃーーっ!! 最後に喉奥からガラガラ蛇のような威嚇音(いかくおん)を迸(はとばし)らせると、トン!と音を残し、老人の体が 軽々と机上から舞い上がる。 アレキサンダーが腰を抜かしてへなへなと座席に尻を落とした時には、その姿はマルコビッチの机上にいた。 まるで蜘蛛のように机上に這いつくばった老妖鬼にネクタイをねじり上げられ、先ほどまで啖呵(たんか)を切っていたマルコビッチの顔もサーっと血の気を失う。 「テメーもたいがいにせーーや。 毎度毎度、アレキサンダーに絡みやがってよ〜。 あれか、テメーはアレキサンダー君を愛しちゃってんのかよ? BLか?ヤンデレか?ツンデレか? それともクーデレかよ? どうなんだよ、おい?」 「はは....まさか....」 しーー! 老妖鬼の人差し指が、マルコビッチの口に押し当てられた。 「いいんだよ。テメーがどんな恋愛の 嗜好を持ってようが、個人の自由だからな。 だがよ、夫婦(めおと)漫才がやりてーんなら、後で二人っきりでやってくれ。 TPOをわきまえろっチューこっちゃ。 TPOじゃ!分かるか、TPOの意味?」 「TPO....TPO....、 東京フィルハーモニーオーケストラ (Tokyo Philharmonic Orchestra)の事ですかな?」 noN noN noN !! 老妖鬼の人差し指が、左右に揺れる。 その指先を見つめるマルコビッチの眼が、信じられぬものを見るように、丸くなる。 爪が凄いスピードで伸びていた。 伸びながらそれは鋭く尖り、猛禽類(もうきんるい)の鉤爪のように変化していく。 それはひと振りで自分の喉を切り裂くナイフのように、マルコビッチには見えた。 「Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)じゃ。 言うてみぃ!」 「Time....Place....Occasion....」 マルコビッチが吸い寄せられるように、鉤爪を見つめながら言う。 「noN!noN!Placeのleのところは、もっと巻き舌で!」 Le!Le!老妖鬼の長い舌が蛇のようにグネグネと踊っている。 「さあ、もう一回言ってみんかい!」 「Time!Place!Occasion!」 「声がちいせえ!もう一回ーー!!」 「Time!!Place!!Occasion!!」 「べリ、グウぅーーーーっっ!!」 鉤爪が閃いた。 マルコビッチがひいっ!と 悲鳴を上げる。 マルコビッチの右頬に一瞬で切り傷が走り、赤い液体が滲み出した。 「やれば出来るじゃねーか!お前は、頑張れば出来る奴なんだよ!」 老妖鬼は指先に着いた血を口に含むと、 真紅の眼でマルコビッチをまっすぐに見つめながら、チューチューと音をたて吸っている。 「あ....ありがとうございます」 蒼白な顔のマルコビッチの右頬の液体を、長い舌でもうひと舐めすると、 「まあ、頑張れや....」 ポンポン肩をたたき再び宙へ舞った。 何事も無かったかのように、元の座席にすっぽり収まりかえる。 前へ |次へ |
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