《MUMEI》 その夜人のいなくなった真夜中のロビーを、一人の男が音もなく通り抜ける。 消灯時間はとうに過ぎ去り、視界の頼りは右手の小型ランプひとつきりだ。 つい先程まではせっせと客の対応に追われていたフロントもすっかり片付けられ、大理石のカウンターの奥では大きな壁掛け時計が2時を指している。 たしかこの宿には防犯のために泊り込みのスタッフが何人か配備されていた筈だ。あまり時間に余裕はない上、穏便に事を済ませなければならない。 男はかつて自らの手で作り出した魔道具、『万能の鍵』を取り出し、そっとランプを置く。 カウンターの上を滑るように乗り越え、息を殺して近付く先は、入宿者の荷物貴重品などがまとめて保管されている金庫だ。 奥のカーテンをゆっくり引く。 すると、上下ふたつの鍵穴が穿たれた重厚な鉄扉が現れた。 本物の鍵は宿の責任者辺りが直接管理しているのだろうが、この魔道具の前ではこの程度、紙細工にも等しい。 高揚する気持ちが呼吸を僅かに荒くさせる。 早まる鼓動を抑えつつ、男は『万能の鍵』を上の鍵穴に差し込む。 カチャ‥という手応えに笑みを浮かべつつ、下も同じように解錠を試みる。 やがて、ギシ‥と短く鳴きながら、開かれる扉。 その手前には、宿泊客のものであろう鞄やら財布やらが置かれている。 だが、男はそんなものには興味はない。 舐めるようにじっくりと視線を横に動かしていくと‥あった。 物の価値も分からぬ宿の輩が、まるで棒切れでも立てかけるようにしてしまい込んだ‥本物の魔剣が。 やっと‥やっと見つけた。 本当は初めて目にした瞬間から、彼には分かっていたのだ。 あの奇妙な二人組に近付いたのは、最初から『これ』が目的だったのだから。 あのラミアとかいう女は魔剣に関して何も知らないようだった。 結局この魔剣の持ち主である男からは話も聞けなかった故に、確証は無かったが‥。 「こうして見れば一目瞭然だね‥ダミーソードなんかとは比べものにならない気品と神々しさを感じるよ‥」 熱に浮かされるまま、その手が魔剣の鞘を握る。 静かに金庫からそれを抜き取り、柄に手をかけた。 「あんな奴等に君は勿体無い‥これからは僕が‥その力を正しく使ってあげるよ‥!」 まるで百年想い続けた恋人を前にしたかのように囁くと、男は両手に力を込める。 しかし、刀身が錆び付いているのではと思える程に、魔剣は鞘から全く出てくる気配はない。 「このっ‥‥っ!?」 無理矢理引き抜こうと更に力を入れた瞬間。 バチィッ 静電気のような音を立て、魔剣は男の手から床へと落下していた。 幸いロビーの床は絨毯が敷かれていたために然程大きな音はなかったものの、男は何が起こったのか分からずただ呆然と立ち尽くしている。 掌に静電気にしては強すぎるビリビリとした痛みを感じながら。 「勉強不足だな。学者とやら」 不意に、暗闇から若い男の声がする。 咄嗟に振り返った先には、魔剣の主であるあの顔色の悪い青年‥デルタが立っていた。 「っ‥‥」 男‥ハイネ・ヒースウェイは歯噛みしながらも強く青年を睨みつける。 その背に隠した刃に、手をかけながら。 前へ |次へ |
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