《MUMEI》
氷殺剣
「何の‥ことでしょう?」

この状況で尚も不敵な笑みを浮かべながら、自称学者の男、ハイネは問いかけてきた。

デルタは下らないやり取りに時間を割く気など毛頭なかったため、さっさと右手を正面に伸ばす。

何事かと身を竦ませたハイネの足元で、カタリと主の召喚に応じた魔剣が、一人でにその身をゼストの元へと瞬間移動させていた。

「魔剣は‥一振りにつき一人の人間としか契約できない。その契約者が、死ぬまではな」

鞘もろとも慣れ親しんだ剣の感触を確かめながら、それを背に吊る。

ズシリとした金属の重みが、己の体重に加わり、ようやくデルタの中に落ち付きが戻ってきた。

「なる‥ほど。契約した人間以外には抜剣すらさせない‥という訳ですね。まるで一途な女性のようだ」

何がおかしいのか相変わらずニタニタと気色の悪い表情でブツブツ喋るハイネに、デルタの顔が嫌悪感で歪む。

思えばこいつは出会った瞬間から気に食わなかった。

謙虚さを装いながら繕った能面のような笑顔ばかり浮かべ、しかも他人の連れと勝手に食事しに行ったかと思えば泣かせて帰って‥‥いや、これは今考えるべきことではない。

強引に思考を切り替えようとするも、何故か彼女のことが頭に引っかって離れない。

あの夕食会の後、何を言われたか知らないが、ラミアは両目を腫らして帰ってきた。

普段はうっとおしいくらいに話しかけてくるお喋りが、一言も口をきかずに眠ってしまった。

「あいつに‥何を言った?」

「おぉ‥気になるんですか?意外ですね」

煽るような口振りに益々不快感が募る。

「何がだ」

徐々に声音を抑えることも忘れて訊き返すと、ハイネは
ニッコリと微笑みと共に答えた。

「だって貴方、大事なこと何も教えてあげてないじゃないですか」

「!」

反射的に固まるデルタ。その隙を見逃さず、ハイネは隠し持っていたダミーソード『凍結の薔薇』を発動。

瞬時に冷却された大気が氷と化し、ゼストの四肢にまとわりついた。

「なっ‥」

動きを封じられたデルタが驚く間もなく、ハイネはなめらかな動きで距離を詰め、その剣を彼の首にあてがう。

「こう見えて僕、ダミーソード使えるんですよ。だから、魔剣の性質もある程度は知っています。そして‥貴方たち魔剣士が背負う宿命も‥ね」

「それを‥ラミアに話したのか‥」

「いいえー?彼女にはちょっと昔話を聞かせてあげただけです。それでも充分ダメージだったみたいですけど。吃驚ですよねー人殺しの兵器を人助けに使いたいだなんて」

「それは魔剣本来の在り方だ。何も間違ってはいない」

「なら、貴方はそうやって魔剣を使った事があるんですか?」

「それは‥‥」

ある。など堂々と嘘を吐けるほど、デルタの精神は強く出来てはいなかった。

この剣を手にしたその日から、彼は壊し、殺すためだけに生きてきたのだから。

「力には、常に代償が付きまとう。救済も、破壊も、それなくしては成し得ない。本気で故郷を救いたいならたとえ血に汚れた兵器でも気にする必要はないのにね。綺麗事ばかりほざいて醜い真実を拒絶するような奴は本当に‥」

すぅと息を吸い込み、ハイネの口元が憎悪を孕んだ笑みに染まる。

「反吐が出る」

会った当初の気弱な学者とは完全に別人‥否、別物の悪魔の如き顔付きで吐き捨てるハイネ。
デルタの命を絶たんと氷のダミーソードが首に迫る。

未だ氷の束縛は解けぬまま。

まずい‥このままでは‥やられる!

スローモーションのように、コマ割りで映るハイネの刃。

目前に押し寄せる死神の腕。

刹那、聞き慣れた少女の声が、鼓膜を貫いた。

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