《MUMEI》

「アレの様子はどうだ?隆臣」
糸野の屋敷の最奥
だだっ広い座敷に重々しい声が鳴り響く
糸野と向かい合う様に座る男が一人、酒を酌み交わしながら何かを話す事をしていた
「羽田の娘、さぞ扱いにくいだろうな」
「何か、楽しそうだな。親父殿」
珍しく穏やかな表情を浮かべて見せる父親へ
何か含ませるように言ってやれば、父親は肩を揺らし
「……羽田の蝶は、全て私のものだ」
「随分とご執心なんだな。親父殿」
異常なまでのソレについ言って向けてしまえば
父親はさらに歪な笑みを浮かべて見せる
「お前にも、何れ分かる。羽田の蝶が如何に素晴らしいかが」
その歪みは段々と露わになり
表情には狂気すら滲み出ている様に糸野には見えた
「……あまり、惑わされるなよ」
忠告らしきそれに糸野は適当に返してやると、手を降りその場を後に
結局、何が言いたかったのか
分からないままのソレに糸野が深く溜息を吐いた、その直後
「隆臣様。こちらにいらっしゃったのですね」
軽い足音を立て、アゲハが廊下を走ってくる
何か用かを問うてやれば、アゲハは糸野の着物の袖を引き庭へと出る
そのまま何を言う事もせず歩き続けるアゲハ
何か、様子がおかしい
普段の様子も変ではあるのだが、今のソレは普段とはまるで違う
「……どうか、したか?」
進む脚を止め、アゲハへと問うてみる
だがアゲハは答える事はせず、改めて糸野の袖を引いた
「とても、きれい。ほら」
再度歩き出し、そして向かった場所は前日にも立ち入ったあの竹林
糸野らが一歩、入り込んだ途端
突然に大量の蝶が飛び交い始めた
「……これは?」
一体何の騒動が始まるのかと問うてやれば
「……ここの蝶々は、蜘蛛が好物なんです」
穏やかな笑みを浮かべながら糸野へと答えて返す
魅入って仕舞いそうなほど、艶やかなその微笑
これは、分かり易過ぎるほど単純な罠だ
みすみすソレに掛ってやる程、糸野もお人よしではない
口元に薄ら笑いを浮かべて見せると、糸野はアゲハを唐突に押し倒していた
「どう、されたんですか?隆臣様」
理由など、糸野自身分からなかった
唯、目の前の相手がそうさせる
この細い手首を捉え、全てを暴いてやれば何が出てくるのだろうかと
「……もしかして、蜘蛛は寂しいのかもしれませんね」
糸野を引き寄せ、アゲハが耳元で呟いた声
そしてその目線が僅かに上向き、見た先に蜘蛛の巣があった
「……巣はあんなに大きいのに。蜘蛛はいつも一人、とても寂しいそう」
「可哀想か?」
そんな事を考えた事などなかった
一人で在るのが当然だと思っていたからだ
地震以外は皆、餌でしかないのだと
「……お前は、本当に変わった娘だな」
「隆臣様こそ」
お相子です、と笑うアゲハ
向けられたソレは明らかに作られた笑み
この相手の本心は一体何なのか
分かりかねるソレに糸野は焦れ、僅かに舌を打った
その直後
屋敷の方からけたたましい叫び声が響く
「何か、あったのでしょうか?」
様子を見に行ってみる、と身を翻すアゲハ
糸野も一応はその後に続き、踵を返した
「隆臣様!!」
屋敷へと戻るなり叫ぶ様な声で糸野は名を呼ばれる
何事かを問うてやれば
「だ、旦那様が、旦那様が!!」
相当に慌てているのか、そればかり繰り返し言うのは糸野父の側近
何事が起きたのかを改めて問うてやれば、側近は一瞬の間の後
「……旦那様が、お亡くなりになりました」
ソレは、唐突過ぎる訃報
つい先日話をしていた筈だ、と糸野には俄かには信じられず
改めて聞き返してしまえば
「……分かり、ません。突然に旦那様がが苦しみ出されてそのまま……」
事の状況を話しはするのだがいまいち要領を得ず
ここで半場氏をしていても仕方がない、と糸野は身を翻し
父親の部屋の在る離れへと向かう事に
中へと入ってみればそこには一面に散らばる蝶の死骸が
そしてその中に埋もれるように倒れる父親の姿があった
何事が起っているのか
部屋を三輪氏、糸野は唯々現状を理解しようと思考を巡らせるばかりだ
「……これは、黒翼アゲハです。隆臣様」
着いてきていたらしいアゲハからの感情の籠らない声
ソレは一体何なのか
脚元に落ちている蝶の死骸を糸野は手に取ってみる

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