《MUMEI》

私は再びベンチに座り、桐生の話を静かに聞いた。


「俺ん家が昔貧乏だったことは知ってるよな?」

私は黙って頷いた。


「その頃から親は家にいることが少なくて、俺、いつも独りで寂しかった」


桐生の顔には笑みは浮かんでおらず、寂しげな表情をしていた。
…その瞳の奥に映る何かを、今私は知ろうとしている。


「仕事に没頭するのは仕方ない…けど、俺のことも見て欲しくてやれることはなんでもやった。勉強はもちろん、運動も…だけど」



桐生の顔に影が帯び、いっそう歪んだ表情をしたのは…多分、気のせいではない気がする。
いくら人の気持ちに鈍感な私でも、それくらいは察知できる。


(それほど、独りで寂しかったってことだろ…独りの寂しさは私も知ってる)


込み上げてくる感情の波をおさえ、桐生の話を聞く。


「父さんも母さんも、俺のことなんて眼中になかった。今も昔も変わらず仕事、仕事で…でも、いつかきっと振り向いてくれるって信じて努力してる。ただ…それだけだよ」



桐生の話は終わり、沈黙が訪れる。


(自分に振り向いてほしくて一番を…ね)


独りの自分に向き合ってほしいから一番にこだわってたのか。
……そんなこと、思い付きもしなかったけど…


(桐生は今も努力してるんだ…)


「わりぃ!暗い話になっちまって…さて、もう暗くなってきたし帰るか」



確かに辺りは夕日が沈んだからか暗くなっていた。桐生が立ち上がろうとしたそのとき、私は自分でも驚く行動をとってしまった。



「……え?た、橘?」


私は自分よりも背の高い桐生の頭に自分の手を乗せ、なでなでした。

何故か気づいたときにはそうしていた。


「おい、橘?」

「……僕は、こういうときでもどんな言葉をかければ良いのか分からないけど」

桐生がおどおどしているが私は構わず、思ったことを口にした。

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