《MUMEI》
1
ジリリリと目覚ましが鳴り、私は心地良い眠りの沼の底から這い出す。
いつもこれには非常な努力を要する。
沼の底から現実世界に腕を伸ばしながら、枕元を手探りして目覚ましの音を止める。
目蓋は閉じたままだ。
再び眠りの沼の底へ沈んでゆこうとする意識。
それと戦いながら重さ一トンはするであろう目蓋を、見えないクレーン車が持ち上げ始める。
先程まで澄みきった空を見上げていた視界が、現実世界の見慣れた部屋の映像を、ぼんやりと結び始める。
と思う間もなく、再び目覚ましがジリリリと鳴りだした。
私はぼんやりした視界の向こう、やかましく存在を主張し続ける目覚ましのスイッチを 、叩き下ろす掌で止めた。
してみると初めに聞いた目覚ましの音は、現実世界のものではなく、眠りの世界で産み出されたものだったのか?
毎日似たような単調な生活を送っていると、そんな事もまれにあるもんだ。
はて、私はどんな夢を見ていたのだろう?
澄み渡った空を見上げていたような気がする。
その空を羽ばたきながら飛んでゆく一匹のカモメを、草原に寝そべりながら見上げていたような気がする。
いやそれとも私自身がカモメだったのか?
滑空しながら地上に寝そべっている男を見下ろしていたのか?
今となってははっきりしない。
はっきり覚えているのは頬に当たる初春のような心地良い微風だけ。
それを鳥の身で体験したのか、それを見上げる男として体験したのか、もう覚えていない。
どっちだっていいだろ、そんな事は。
思い出したところでどうなると言うのだ。夢なんてすぐ忘れてしまうものなんだから。
私は3トンはする肉体を再び見えないクレーン車を操作し、胸から持ち上げる。
私の上体が棺から身を起こす吸血鬼のごとき動きでベット上から持ち上がり、
私は次の瞬間には右足を床上におろしていた。
楽しい夢よ、さよなら。
辛い現実世界よ、こんにちは。
両足を床上に着地させると、うつむいたまま寝癖の髪をくしゃくしゃかき混ぜる。
世の中には寝起きの良い人種もいるらしいのだが、そんな人種とは永遠に相容れないような気がする。

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