《MUMEI》

アゲハから飛び散った血の様にどす黒い液体にまみれながら、それでも椿はアゲハの身体を嬉しそうに抱く
この男は、何を求めるのだろうか?
分かる筈もないそれに糸野は派手に舌を打つ
「この子がいる限り蝶は潰えない。永遠に孵り続ける」
「……何のために?」
「わが一族にとって蝶は繁栄の証。何にも囚われる事無く空を舞う姿こそ、本来あるべき姿なのです」
問うたことに対しての返答はない
唯々悦に入ったような笑みをその表情に浮かべるだけ
「貴方も、見たいでしょう?その最も美しい瞬間を」
言いながら、椿はアゲハの羽根を鷲掴む
まるで、その羽根を手折るかの様に
その感覚に微かな声を上げ身体を小刻みに震わせるアゲハ
一際大きな声を上げたその直後
糸野の全身に何かが這う様な感覚が現れた
それは蜘蛛がゆっくりと皮膚の上を這って行くようなそれで
徐々に徐々に、その感覚は強くなっていく
「まるで、化け物だな」
お互いに、と口元を歪ませる糸野
院ぁ、これ程までに蝶を狂わせたのは蜘蛛だ
巣に絡め取り、一枚一枚その羽根を手折った
残酷な仕打ち
その報いを受けなくてはいけないのだろうと糸野は肩を揺らす
「……俺にもおまえにも、関係のない事の筈なんだがな」
蝶と蜘蛛、その間にかつて何が合ったかなど
そう理解しているはずなのに、己が内に住まうそれが関わらずに居る事を許さない
「……苦しいか?アゲハ」
呼吸も荒く肩を上下させるアゲハ
どうすれば、この蝶は救われるのだろうか?
いっそ一思いに食んでやればいいのだろうか、と
アゲハが少しでも落ち着くように髪を梳いてやりながらそんな事を考えてしまう
「隆臣様。隆臣様を私に下さいませ」
そうすれば楽になれる気がする、とのアゲハ
喰うか、喰われるか
果たして何方の選択が最善なのだろうか?
否、何方を選んだとしても、互いに最悪の結末しか迎えられないことは明白だ
「……隆臣様。私のモノに――」
乞う様に伸ばされた手
その手が頬に触れた次の瞬間、蜘蛛がアゲハの指先に這う事を始める
「……私を、食い殺しますか?……嬉しい」
漸く望みがかなう、とアゲハは満面の笑み
そう、この蜘蛛は直にこの儚げな蝶を喰い殺すだろう
それなのに
「……そんな顔をするな」
それをしたくないと、どうしてか思う自身が不思議でたまらない
煩わしいと、思っていたのではないか
いつから自分は躊躇というものを覚えた?
自問してみるものの答えなど到底わからない
「……情でも、わきましたか?蜘蛛の分際で」
柔らかくアゲハ毛と触れる糸野へと椿の声が掛かる
相も変わらず苛立ちか感じられない声色に僅かに振り返った
次の瞬間
何かを突き刺したかの様な鈍い音が鳴る
一体何が起こったのか
それを理解したのはその直後だった
感じる激痛、着物に広がっていく朱い染み
其処で漸く、刃物に刺し抜かれたのだという事を理解した
「……救ってなど、やらないでください。その子は羽化したほうが幸せになれる」
痛みに僅かに体勢を崩した糸野から、椿がアゲハを奪い取る
人を捨てたほうが幸せだとでも言いたいのだろうか?
否、アゲハは恐らくそれを望んではいない
「……殺しては、下さらないのですか?どうして……」
「蜘蛛も、寂しいと感じる時がある」
アゲハの言の葉を遮る糸野のソレ
声を発する度、刺し抜かれたせいか、口元を朱が伝っていく
「……蜘蛛は常に孤高でなければならない。そうあるべきなのに――!」
情など見せるから傷ついてしまった
それまで穏やかだったアゲハの表情が一瞬にして強張る
悲しんでいるのだろうか?傷ついてしまった糸野の姿を見て
「逝くのなら、私も連れて逝ってください。どうか、一緒に――」
求められ、触れられる手
結局の処、自分たちは一体何なのだろうか?
ヒトで在る筈なのに、今ではその実感がひどく希薄だ
「……お前に殺されてみれば、その答えがわかるのか?」
「……隆臣様?」
「捉えたはずの蝶に知らず知らずの家に殺される、面白いかもしれんな」
言って終わると同時、糸野は何を思ったのか身を勢いよく翻す
その勢いに負け椿は大勢を崩し、刃物が糸野の身体から抜け落ちた
「……邪魔だ」

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