《MUMEI》
箭括の章
男は、逡巡していた。
役人である男が手にした一本の大きな呪杖は、都で託されたものであり、然る社に奉納されていた杖である。
西葦原と呼ばれる地での架橋事業成就の為、術者が呪をかけることによって新たに特別な使命を帯びて、彼に授与された。
託宣者は供物を二体捧げよ、と告げたという。人柱の候補となったのは二人の娘だった。
一人は顔に彫物をした少女で、道中、時折鋭い荒んだ視線を何もない中空に向けていた。
もう一人は白磁の肌をした美しい女であった。
男は女を見た途端に、心を奪われてしまった。
以来、何とかして彼女を救えないものかと考え続けていた。彫物の少女はどうでもいい。途中、少女の勧めで助っ人依頼の手紙を届けるようにしておいた。
だが、肝心の妙案を何一つ思いつかないまま、西の地に着いてしまったのだ。
始まりは一目惚れだった。旅の途中、女と、身の上話や他愛のない世間話などもした。行程の苦労を分かち合い、袖を触れ合う内に、彼女が自身の命を諦めていないことに気がついた。瞳が根拠はなくとも意志を持って輝いているのだ。常に無表情の彫物の少女と違って、白磁の女はよく笑った。地獄への道先案内役とも言える男に向けても、女は微笑みかけた。
辛い道行にも文句も言わず、何かを望み求めることをしなかった彼女が、一度だけ欲しがった物がある。
男が腰にぶら下げていた水の入った瓢箪だった。彼が口をつけた直後で、一口分くらいしか底に残っていなかっただろう。差し出すと女は、大事そうにゆっくりと含み、飲み込んだ。すぐに中身はなくなってしまった。蓋を閉めてから両手に大事そうに握り締めた瓢箪を、彼女は離そうとせず、返してくれとも男は言わなかった。
言葉にしなくても、何か暖かいものが胸中に灯った気分だった。縁とするつもりだったのだろうか。今となっては確かめようがない。

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