《MUMEI》

椿を見下ろす見下す糸野の視線はひどく冷酷なそれで
椿は瞬間呼吸することも忘れ、そのまま声を詰まらせる
「……やはり糸野の人間は化け物だ。早く殺して ――」
言葉が中途半端に途切れた
短く声を上げ崩れるように落ちていく椿の身体
何事が起ったのかと見やれば其処に籠山の姿が合った
「……遅くなり、申し訳ありません。隆臣様」
深く頭を下げてくる籠山の手に握られているのは小刀
その刃に付いているのは朱の色
熱を持ってるらしいそれはその刃を僅かに曇らせ
僅かに鉄くさいそれを漂わせる
「……隆臣様、これを」
赤く湿っているそれを着物の袖で無造作に拭うと籠山はそれを糸野へと渡してくる
「……終わらせましょう。隆臣様」
それまで険しかった籠山の表情が途端に崩れた
そして改めて、終わらせたいのだと糸野の前で膝を崩した
「……もう、充分です。糸野も羽田も長らく栄えました。だからもう ――」
「……何を、言っているのですか?たかが、囲いの分際で」
糸野へとすがる様に訴える途中、籠山の声が不意に途切れた
続くはずだった言葉は声にはならず、喉がこすれる様な音が鳴るばかりだ
何事が起ったのかと見やれば其処に、刃物を握り締めたアゲハの姿が
「隆臣様、これで私達には何もなくなった。そう、私達以外は」
ポトリ、ポトリ
刃を伝い滴り落ちていく籠山の血をアゲハは眺めながら、さも嬉しそうに笑みを浮かべてみせる
「隆臣様……」
消え入るような声で糸野を呼びながら傍らへと歩み寄り、そして膝を崩す
刺し抜かれ痛みに呼吸を段々と乱す糸野を見やり、アゲハはその身体を徐に抱いた
本当に、自身もこの蝶も惨めだ
前世に囚われ、その全てに翻弄されるがままに終わりを迎える羽目になるなどと
「……滑稽だな」
それ以外のいい言葉が見つからない
「そんな事は在りませんよ。隆臣様」
柔らかな声色でアゲハはそう言って返し、糸野の身体を強く抱きしめると
徐に、糸野の手へと刃物を握らせていた
なんのつもりかと問い質そうとした、その直後
肉を抉るような感触が糸野の手へと伝わってくる
何が、起きた?
状況を把握するより先に、アゲハの身体が糸野へと凭れる様に落ちてくる
アゲハの胸元に刺さる刃物
流れでる血液がその刃物を伝い、糸野を汚していった
「……貴方の命は直終わる。私も、連れて逝ってください」
すり寄ってくるアゲハへ
糸野は僅かに肩を揺らすと、だが首を緩々と振ってみせる
「……生きろと今のお前に言うのは、残酷か?」
「……残酷です。とても」
「なら、生きろ。お前が今から殺す、俺の分まで」
言いながら、糸野はアゲハに刺さったままの刃物を抜き取る
溢れだす血液
ああ、これはもう互いに助からない
あきらめかけた、次の瞬間、アゲハが糸野の身体を徐に抱いた
「……なら、貴方を食んでも、いいですか?」
微かに震える唇が、そんな言の葉を吐く
その問いかけに対する返答を糸野がするよりも先に
アゲハは糸野の首筋へと歯を立て始めた
「美味いか?アゲハ」
最初は甘噛み、そして段々と痛みを感じるように歯を立てていく
その与えられる痛みに、だが糸野は僅かに肩を揺らす
漸く終わらせる事が出来る、と
「・・・・・・隆臣様。何故、私達は蜘蛛と蝶を抱いて生まれ墜ちたのでしょうか?」
意識を手放し掛けた糸野へアゲハがか細い声で問う事をしてきた
何故、考えた事もなかった
物心ついた頃からそれが当然だと言いきかせられてきたのだ
そこに在るから在る、唯それだけ
「・・・・・・潔い、のですね。私は、随分と足掻きました」
「お前でも、足掻く事をするんだな」
意外だった、と糸野は僅かに肩を揺らした
生になど、当の昔に執着など無くしているように見えたからだ
人間らしい一面もあったのだと、糸野はどうしてか安堵を覚える
「もういい。疲れた」
全て終わってしまえばいい
段々と薄れていく意識の中でそう吐き捨てる
もう直、もう直完全に意識が途切れる
そう感じた、その直後
糸野の視界の隅に黒い何かが見える
一体、何なのだろうか?
それに触れてみようと手を伸ばした
そうして漸く触れることが出来たそれは、一匹の小さな蜘蛛

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