《MUMEI》

こんなちっぽけなモノに長年振り回されてきたのかと、糸野は嘲笑に近いそれを浮かべて見せる
「…まだ、何かあるのか?」
徐々に手を這ってくるそれに一瞥を向けてやり
たがもう関わりたくなどないと糸野は手を払った
「……もう、好きにさせろ」
これ以上囚われてなどやらない、とわななく唇でそう呟けば
だが蜘蛛は言葉を解してなどいないのだろう、糸野へと這いよってくる
ああ、まだ自由にはなれない
いつまで囚われなければならないのだろうか?
煩わしさに、喉元まで這ってきたそれをかきむしってやろうと手を触れさせた、その直後
何かが切れる様な音が、耳の奥で鳴った様な気がした
同時に白濁に染まり始める意識
今の今まで絡め捕られていた手足が自由になったかの様な感覚に陥る
「最後の最後に、慈悲を寄越したか」
漸く、自由になれる
傍らに横たわるアゲハを何とか引き寄せ、その耳元に呟く言の葉
その声にアゲハは弱々しい笑みを浮かべ、そして糸野の頬へと手を添え
引き寄せ柔らかく口付けた
「・・・・・・私の蜘蛛が、あなたで、良かっ――」
言葉も途中に事切れるアゲハ
動かなくなってしまったその頬へ、糸野は小刻みに震える指を触れさせる
「・・・・・・そう、思って貰えたのなら何よりだ」
誰かに必要とされ、自分で良かったと言葉を貰えた
それは糸野にとって初めて戴いたものだった
「・・・・・・漸く、ヒトになれた、気がするな」
唯糸野の当主として、蜘蛛を戴いた者としてだけの存在意義
それが(死)と言う形で漸く(人)を実感する事が出来た
皮肉なものだと嘲笑を浮かべながら、同時に安堵を覚える
「・・・・・・俺が死んだら、お前はまた、糸野に巣を張るのか?」
僅かに残った意識が独り言の様に問うことをすれば 
たが返ってくるそれなどなく、問うた相手であろう蜘蛛は糸野の皮膚の上を唯這うばかりだ
「どうでもいい事か」
もう、何もかもが終いなのだから
震えてしまう声で漸く呟く事をする糸野
未だ息絶える事の出来ない自身に苦笑を浮かべ、唯その時を待つ
だが、その時はどうしてか訪れてはくれない
いい加減にして欲しいとわずかに動かし始めた唇へ
何かが、触れてきた
ふわりと撫でるだけの様なそれの後
眼の奥に白濁が広がり、そして何かが見え始めた
唯々白しかない其処に現れる、様々で鮮やかな彩り
ついその彩りに見入ってしまいそうになるその視界の隅に
黒く、小さな彩が見えた
よくよく見てみればそれは一羽の蝶々
蜘蛛の意図が何重にも絡みついた死骸だった
その蝶に寄り添う一匹の蜘蛛
あんな風に自分も寄り添ってやる事が出来れば良かった
そんな後悔を抱きながら園様を見やっていると
そのうちに蜘蛛が蝶を食み始める
何処まで行っても蜘蛛は捕食者でしかない
その手を取ることも、その身を抱く事も、息絶えた後でしか叶わないのだから
「……本当に、哀れだな」
恐らくアゲハは蝶である自分が蜘蛛である糸野を喰らう事でこの連鎖を止めたかったのかもしれない
喰わせてやれば、全て変わっていたのだろうか?
今更でしかないそれを、糸野はぐるぐると考え始める
「……また、お前に会えれば、いいがな」
考えをどれ程巡らせてみても、結局最後に願うのはたったそれだけ
それ位、叶えて暮れても罰は当たらないだろうと糸野が僅かに肩を揺らせば
また耳の奥で何かが切れる様な音が鳴る
今度は鮮明にその音を聞いたかと想えば、漸く本格的に意識が薄れ始める
近づく己が身の終焉に抗う事もせず、糸野はそのまま意識を手放したのだった……

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