《MUMEI》
終章
敦子は、松野敦子から、佐藤敦子に戻っていた。年をとった姑は、老人ホームに入居していた。もう誰のものでもない佐藤敦子になったことをうれしく思っていた。腹の子も順調で、細身の敦子の腹は、パンパンに膨らんでいた。しかし、気になることがあった。たまに、「なんてかわいい子なんだろう、」と聞こえてくることだ。はじめは、空耳だとおもった。その次は、誰かが噂しているとおもった。そこで、他の人の言葉をきいているだけだ、と、解釈していた。
予定日まで一月を切ったある日。その日は雨が降り、雷がなっていた。
真夜中であった。布団で寝ていた敦子は、不意に目を覚ました。腹に激しい痛みをかんじた。
「まだ、早いのに!」
同時に体からヌウと水が出たようだ。破水か、とおもったが、布団は赤く染まっていた。破水ではなく血だったのだ。敦子は、痛みをこらえて立ち上がり、スマートフォンをとって救急車を呼んだ。五分程度で来てくれた。
しかし、初めに運び込まれた産婦人科は、これ以上空きはないとして、断られた。手当たり次第に他の病院を当たったが、いずれも同じ理由のため門前払いにされた。運ばれている途中に、
「わあ、なんてかわいい赤ちゃんだろう。」
と、聞こえてきた。それは今までよりはるかにはっきりしており、男性の声であった。同時に、痛みはさらに強くなる。
「私の赤ちゃんを返して!」
敦子は、これ以上でないほどの怒鳴りかたで、怒鳴り付けた。
「気がつきましたか?」
気がつくと、自分は病院のベッドのうえ。あわてて、腹部に触ると、、、ぺしゃんこになっていた。
「あ、あの、、、。」
「お気の毒でした。」
と、看護師が言った。ということは、つまり、、、。
敦子は、みるみるうちに涙が溢れてきた。
「ごめんね、、、。」
主のいない腹をなでながら敦子は、いつまでもないた。後に医者に病名をきくと、胎盤早期剥離で、急激に胎盤が剥がれたため、胎児は直ちに死亡してしまったという。病院をたらい回しにされたせいで、敦子の体は細菌に感染している可能性もあり、しばらく入院しなければならなくなった。
翌日、四十度近くの高熱が敦子を襲った。意識が朦朧とする日々が続いた。
ある雪のふる夜だった。
「敦子さん」
若い男性の声がした。
「あなたは。」
「ええ、以前お会いした、佐藤慶久です。」
何となく、そのやつれた顔は見覚えがある。
「その節は、本当にごめんなさい。」
敦子は、熱に侵されているにも関わらず、立ち上がって頭を下げることができた。
「いえ、貴方は許されました。人の弱さがわかって頂けたのなら。」

翌日。
見回りにきた看護師は、敦子が死亡しているのを発見した。

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