《MUMEI》 3星奈紗季は、牛丼店でアルバイトをしていた。劇団員のほぼ全員がアルバイトをしている。無名の劇団は、維持費に金がかかり、衣装や小道具にこだわれば、チケットが売れても赤字だ。皆ほとんど一人暮らしなので、フルタイムのアルバイトをしなければ生活はできない。 学生ならまだしも、夢に理解のある家族は珍しく、定職に就かず演劇に夢中になっていれば、家を追い出されるように一人暮らしを始める。 紗季も、三階建ての小さなアパートで一人暮らしをしていた。彼女は二階に住んでいる。 「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりになりましたか?」 「うーどん」 「牛丼は特盛りと大盛りと並がございますが」 「牛丼じゃないよ、うどんだよ」 「はっ?」紗季は一瞬怯んだ。「あの、うどんはやっていないんですけど」 「え、じゃあ、何があんの?」 「メニューはこちらです」 そこへ、スーツを着た強面の男が入ってきた。 「いらっしゃいませ!」 「大盛り弁当10丁、並弁当10丁、味噌汁20杯、大至急よろしく」 「あ、はい、ただいま」 紗季は、慌てて受話器を取る。 「浅尾君、ごめん、ちょっと早いけど上がって来れる? 大量注文入っちゃって」 仕事が終わり、ヘトヘトになって地下へ下りる。夏は堪える。紗季は、タオルで汗を拭き、独り言を呟いた。 「あああ、もっと短時間で稼げるバイトはないかなあ」 この店は、紗季が紅一点なので、特に女子更衣室というものがない。紗季が入店した時、店長は「カーテンで仕切ろうか?」と言ったが、彼女は「別に構いません」と断った。 劇団員なので多少の免疫力はある。しかし、紗季は、どちらかといえば、シャイなほうだった。 「キャバクラかあ。キャバクラで働く度胸はないしなあ」 紗季は着替えながら、ボーっと考え込んでいた。着替えは各自、自分のロッカーの前で行う。その他備品や書類なども、全部地下室にあるので、全てが狭い部屋で兼用になっている。 いつもは誰が突然入ってきても大丈夫なように、体を隠しながら素早く着替えるのだが、考え事をしていたせいで、彼女は自分が下着姿になっていることに気づかない。 「ほかには、風俗は怖いし、運転の仕事も昔より安くなったって聞くし・・・」 その時、地下室のドアが開いた。浅尾が部屋に入ってくる。 「うにょ・・・」 「ん?」 セクシーな水色のブラジャーとショーツ。めったに見れない格好に、浅尾の理性は万里の果てまで飛んだ。 「え、あ・・・きゃあああああ!」 「大丈夫、見てない、見てない」 浅尾は慌てて背中を向けた。紗季は両腕で胸を隠しながらしゃがむと、怖い顔で睨んだ。 「見たでしょ?」 「見てない、見てない、何も見てない。蓋が足りなかったから、取りに来ただけだよ、それじゃあ!」 「こらあ、待ちなさい!」 浅尾は、蓋が入った大きな袋を持つと、逃げるようにドアを閉め、階段を駆け上がっていった。 「ああ、びっくりしたあ」 まだ胸がドキドキしている。恥ずかしい姿を見られてしまった。気をつけねば。彼女は反省した。 前へ |次へ |
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