《MUMEI》
7
翌日。稽古が終わり、紗季が帰る時、岡田高正が声をかけた。

「紗季チャン」

「ん?」

岡田は180センチの長身。甘いマスクで性格も優しい爽やかボーイだ。紗季の1歳年上の24歳。今回は警官役で、犯人に高速タックルを決めて取り押さえる。

「紗季チャンきょう、これから何か用事ある?」

「あ、変更になったセリフ覚えたいから」

「頑張るね。でもたまには息抜きも必要だよ」

「でも、やっぱり主役は責任重大だから」

岡田は笑顔で俯くと、顔を上げた。

「わかった。じゃあ、また今度」

「はい、お疲れ様でした」

「お疲れ」

紗季はややニンマリしながら道を歩くと、角を曲がったところで呟いた。

「惚れられちゃったかな」

悪い人ではない。しかし、同じ劇団で恋愛は難しい。決して恋はご法度ではないのだが、慎重になる。上手く行けばいいが、もしも破局したりすれば、どちらかが劇団を辞めなければならない。

それに、三角関係など恋のもつれから団結にひびが入ることもある。劇団は若い男女がかなり接近して稽古するので、そういうことがあっても不思議ではない。

食事会や飲み会も行われるし、カップルが誕生してもおかしくない。

誘いを断られた岡田は、無表情で稽古場に戻った。床に腰を下ろし、ウーロン茶を飲む。隣に先輩の露畠竜也がすわった。

「紗季、キレイになったな」

「そうですか?」岡田は、興味津々の顔で竜也を見る。

「紗季のこと好きなの?」

「・・・・・・」

岡田は眩しそうな目で天井を見上げると、言った。

「実際、バスジャックとか銀行強盗で人質になったら、どうしますかね?」

「そりゃあ、そん時になってみないとわからないよ。で、紗季のこと好きなの?」

岡田は思わず笑った。

「何度外してもヘッドロックしてくるプロレスラーみたいですね」

「何回外しても無駄だよ。で、紗季のこと好きなの?」

「それは・・・」

「嫌いなの」

「嫌いなわけないじゃないですか」

「じゃあ好きなんだ?」

「そういう誘導尋問はなしですよ」

竜也は笑みを浮かべると、岡田の肩を叩いた。

「紗季は彼氏いないみたいだし、アタックしたもん勝ちだよ。高速タックル決めて押し倒さないと」

「そんな」

恋のレースは難しい。早仕掛けで失速したら、一生後悔する。もっと親しくなってから告白すれば、もしかしたら上手く行ったかもしれないと。しかし、あまり慎重になり過ぎている間に、ほかの男に取られたら、そこから鞭を乱打して追いかけても届かなかったという結末もあり得る。

恋のレースはデッドヒート。いつ仕掛けるかが迷うところだ。恋愛に方程式はない。こうすれば必ず上手く行くなんていう話はない。

岡田高正は、紗季の素敵な笑顔を思い浮かべた。本当に魅力的な女の子だ。本音を言えば結婚したい。本気で好きだった。どうしようもないほど、心底惚れていた。

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