《MUMEI》
7
「ふう・・・」

紗季は楽屋裏で深呼吸。皆疲れていたが、心地よい疲労感だ。着替えも終わり、打ち合わせをしようとしたところへ、珍客が現れた。

「監督」未来が言った。

「どうした?」

「刑事さんが」

「刑事?」

刑事と聞いて、皆は身構えた。スーツを着た強面の男が一人で楽屋に入ってきた。180センチの岡田高正よりも長身で、屈強な男は、警察手帳を見せながら、渋い声で言った。

「北倉です」

「刑事さんが何の用ですか?」今泉は緊張の面持ちで応対する。

「実は、警察署のほうに苦情が来まして」

「苦情?」

「あれはまずいんではないかと。で、私は自分の目で確かめようと、きょう、チケットを買って最初から最後まで観させてもらいました」

皆も緊張していた。今までも暴言や破廉恥なアドリブはあったかもしれないが、何しろ無名過ぎて、話題にも上らないから、苦情も来ない。

しかし今回は違っていた。口コミにも良心的な意見もあれば、あることないこと大袈裟にネットに書き込む人間もいる。「女優が舞台で全裸になる」という口コミを見て、劇場に足を運んだ人もいるかもしれなかった。

とにかく話題になり、世間で目立てば、良いことも悪いこともあるのだ。

「私の個人的な感想を述べれば」北倉は言った。「表現の自由を重視したい。皆さん、演技も上手いし、キャストも凄く魅力的です。特に嫌らしさは感じませんでした。一生懸命演劇をやっている熱も伝わりました」

評価してくれている。皆は少し安堵した。

「で、ヒロインの方は・・・」

「あたしですが」紗季が一歩前に出た。

北倉刑事は、紗季を見つめると、彼女には何も聞かず、「責任者の方は?」と見回した。

「私が責任者の今泉です」

「あれは、一応最後、全裸になるんですよね?」

「それは企業秘密です」

「・・・・・・そうですか。まあ、すぐに暗転になるので問題はないと思いますが、ギリギリの線であることは確かだし、一応、あれ以上長くならないように、気をつけてほしいと思います」

「はあ、それはもう・・・」

今泉が素直に言いかけたところへ、未来が口を挟んだ。

「ちょっとたんま。警察は演劇に関してはド素人でしょう」

「ドはいらないでしょ、ドは」

焦る今泉を無視して、未来は話を続けた。

「表現の自由は憲法で保証されてるんだからね。警察が口出すことじゃないでしょ。それは個人的な意見? それとも警察庁を代表しての伝言?」

北倉は怖い顔で未来を見下ろす。身長差約30センチ。しかし未来は全く怯まずに下から睨み返した。

「・・・君は?」

「坂北未来。逃げも隠れもしないよ」

「まあ、まあ、まあ」今泉は間に入った。「この刑事さんは理解力抜群だし、とても素人とは思えないよ。それに自費でチケット買ってくれて観てくれたなんて、良心的じゃないか」

今泉は未来の真ん前に立つと、敬礼ポーズをした。

「とにかく、貴重なご意見をありがとうございます」

北倉は笑みを浮かべた。

「わかりました。お邪魔しました」

刑事が楽屋を出ていくと、未来がムッとした顔で言った。

「上から目線だ」

「ストップ! 声が大きいよ。それに背高いんだから上から目線はしょうがないでしょう」

「身長は関係ないでしょう」

納得いかない表情の未来の横を、竜也は目を輝かせながら通り過ぎると、出入口のほうを見ながら言った。

「あれが本物の刑事か。渋いなあ」

「はあ?」未来が横から睨む。

「迫力あったなあ。北倉です。あの警察手帳の出し方。北倉です」

「参考になりましたか?」三宅が笑う。

「なったね」竜也は警察手帳を出す格好を繰り返す。「露畠です。違うな。露畠です」

未来は腕組みしながら首を左右に振る。紗季は心配顔で今泉に言った。

「やっぱり苦情が来たんですね。大丈夫ですかね?」

「変更はしないよ。このまま行こう」

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