《MUMEI》
2
休日の朝、紗季は、一人で喫茶店にいた。モーニングセットは結構いける。サンドイッチにハムエッグとサラダ。飲み物はアイスコーヒーを注文した。

全部食べ終わってアイスコーヒーを飲みながら、窓の外を見たりしてリラックスしていた。そこへ、突然声をかけられた。

「紗季さん」

「え?」

あの初老の紳士だ。

「お一人ですか?」

「あ、はい」

「ここ、いいですか?」

一瞬迷ったが、紗季は快く笑顔で言った。

「どうぞ」

男はすわると、ホットコーヒーを注文し、名刺を出した。

「実は私、こういうものです」

緊張の一瞬。何とか組の組長だったら困る。しかし、名刺には、画家と書いてある。名前は、立石勝太郎だ。

「立石・・・さん」

「はい」

「あの、画家の先生だったんですか?」紗季はかしこまった。

「絵画教室も運営しているんですよ」

「へえ、凄いですね」

立石は運ばれてきたコーヒーをひと口飲むと、真正面まら紗季を見すえた。

「紗季さん」

「はい」

「ウチの絵画教室でデッサン会をやるんですけどね」

「はい」

「モデルになっていただけませんか?」

「モデル、あたしがですか?」

紗季は目を丸くした。立石は穏やかなに話す。

「紗季さんなら、1時間で10万円払います」

「・・・・・・じゅうまん?」

目を見開いて硬直する紗季に、立石は言った。

「足りないですか?」

「まさか、まさか、そんなにもらえるんですか?」

「相場でしょう。決して高くはありませんよ。プロの女優なんだから」

プロの女優。全身をくすぐられたような響きを感じた。確かに嘘ではないが、改めて言われると嬉しい。なるほど、無名の美術モデルではなく、プロの女優という評価なのか。プロの女優が全裸になるのだから、相場だと。

人は、自分を重んじてくれる人には弱い。しかし、そこに落とし穴がある場合もあるから、世の中は危ない。善良な市民ばかりが生活しているわけではないのだ。

「どうですか?」

10万円は欲しい。ぜひともやりたい。紗季は胸がドキドキしてきた。

「あの、あたしでよければ、ぜひ、やらせていただきます」

「そうですか、良かった」

立石は胸ポケットから財布を出すと、いきなり一万円札を十枚数え、紗季に渡そうとした。

「ちょっと待ってください」

「いいじゃないですか、前払いですよ」

「いえいえ、プレッシャー感じちゃいますよ。お仕事が終わった時にいただきます」

「そうですか。じゃあ、そうしましょう」

立石は金をしまった。

二人は連絡先を教え合い、少し談笑すると、一緒に店を出た。別れてから、紗季は思わず笑顔がこぼれる。

「あたしにも運が向いてきたかな」

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