《MUMEI》
11
紗季と岡田と竜也は、警察署で北倉刑事にお礼を言って、外に出た。

「腹へったな」

「僕は別に」

「あたしも、食欲ない」

紗季のショックは大きい。いつも明るい彼女から笑顔が全く消えている。二人は紗季をアパートまで送った。



玄関で岡田が優しく言う。

「紗季チャン、きょうはゆっくり眠りな。寝れないかもしれないけど」

「寝れないよ」

寂しそうな表情で俯いている紗季。竜也は、岡田の肩を叩いた。

「紗季が落ち着くまで、そばにいてやりな」

「え?」

「俺は用事があるから、これで」

岡田は真顔で竜也を見る。紗季は顔を上げた。

「竜也さん。本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」

「そんな、一生だなんて大袈裟だよ」

竜也は照れ笑いすると、二人に手を振って帰っていった。先輩のイキな計らいなのか。岡田は躊躇しながら玄関に立っていた。

「どうぞ」

「え?」

「何?」紗季が不思議そうな顔で岡田を見る。

「いいの?」

彼女は一人暮らしだ。律儀な岡田はわざわざ聞く。

「だって、まさかこんな状況の時、あたしに変なことはしないでしょう」

ムッとした顔をすると、紗季はさっさと部屋の中に入っていった。岡田は小声で「お邪魔します」と言いながら部屋に上がる。

紗季は冷蔵庫からビールを出す。

「そこすわって」

岡田はテーブルの前のイスにすわった。紗季もすわると、ビールを二つのグラスに注ぐ。

「岡田君のことは信用してるし、それに、全部見られちゃったしね」

「それは関係ないと思うけど」

「一生言うよ」

ようやく紗季が笑みを見せた。岡田は少し安心した。

「じゃあ、いただきます、カ・・・あ、それはないか」

「いいのよ、カンパイ」

二人はグラスを軽く合わせると、ビールを飲んだ。愛しの人と二人きり。しかも彼女の部屋だ。岡田のほうが緊張していた。

「大丈夫?」

「あ、岡田君にもちゃんとお礼を言ってなかったね」

「いいよ」

紗季はかしこまると、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。命の恩人です」

「そんな、とにかく、無事で良かったよ。あ、無事でもないか」

「無事よ」紗季は情熱的な眼差しで岡田を見つめた。

女性にとって誤解は困る。レイプをされていないのに、されたのではないかと誤解されるのは絶対に困る。

「警察だって、聞いた時は助かったと思ったけど、岡田君と竜也さんとわかって、絶望したわ」

「絶望はないだろう」岡田は驚く。

「だって、演技がヘタ過ぎて、あれじゃバレるよ」紗季は短く笑った。「最初は二人だけなのかと思って、人生終わったかと思ったけど、ちゃんと先に警察に通報してくれたんだね」

「そりゃそうだよ」

紗季からのSOSを受け、岡田はすぐに警察に通報し、場所を教えた。しかし、警察が来るまでに時間稼ぎをしようと竜也が意気込むから、二人で現場に急行。ただ単に偽手帳で刑事役をやって通用するかを実験したかっただけという噂もあるが、それで時間稼ぎができたのは確かだ。

でないと紗季は確実に全裸にされていた。芸術のためなら裸にもなるが、邪悪な連中になんか大切な裸を見せてたまるかという意地と誇りがある。

「誰も助けに来なかったら、あたし、どうなってたんだろう?」

紗季はまた悲しい顔をする。

「そんなこと考えちゃダメだよ」

酷い目に遭わされただろうか。世の中には恐ろしい人間がいるものだ。高い授業料では済まないことがある。紗季は恐怖が蘇り、おなかに手を当てた。

「紗季チャン」

「・・・紗季でいいよ」

呼び捨ての許しを得たか。岡田は不謹慎にも満面笑顔だ。

「紗季」

「何?」

「呼んでみただけ」

「何それ」

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