《MUMEI》

修海は、先程まで対岸まで歩きでも渡れそうだった浅瀬が、あっという間に水嵩
(みずかさ)を増し、川底まで見透せた水が茶色く濁っていく様を、信じられない思いで見つめていた。
中洲の島に取り残された妹の、泣きそうに見開かれた瞳と視線が合うと、どす黒い不安がじわじわと胸いっぱいに広がるのを覚えた。
確かに先程まではその中洲にある島まで、歩いても渡れる事ができるほど、
水深は浅かったのだ。
だが今眼の前で渦巻く濁流は、悪意ある何者かの冗談のように、自分と妹の間を隔て修海の心をもてあそぶ。

だから....僕は水が嫌いなんだ、と修海は思った。
『青い石』を探す事にすっかり夢中になってしまっていた。
怖い『水』に足を浸す不快さも、気にならない程に....。
今思えば、それも悪意ある何者かの甘い罠だったのかも知れない。

『見て!川の底にこんなに綺麗な石があったんだよ!』

きらきらと瞳を輝かせ、かわいらしい小さな掌の中で青く煌めく『それ』を見せた時の、溢れんばかりの妹の笑顔を今でも忘れない。

『持ってて!』

『青い石』を修海の手に押し付けると、妹はさっさと川に戻って行った。
川岸に座ってぼんやりと雲を眺めていた修海が、時折恐ろしい映像(もの)を見せる水への嫌悪も忘れて、『青い石』を探すために水の中に足を踏み入れたのも、妹の笑顔を見たかったからかも知れない。
澄みきったせせらぎに屈みこんで、川底を探るのに夢中になっていると、すぐ傍らにいるとばかり思っていた妹の姿が
いつの間にか居なくなっていた。
不安になって見回した修海が、ちょうど小島のようになっている中洲を向くと、
妹は島にたった一本だけ立っている小さな樹の影から、ぴょいといたずらっ子のように顔をのぞかせた。

『なんかここ無人島みたい。ねえお兄ちゃん....ここで一緒に暮らそうよ!』

『ふぁ?!暮らせるわけねえし....。でもまあ....考えてみるかぁ』

馬鹿馬鹿しいと思いつつ、微笑ましかった。
養われている意地の悪い叔父叔母の元を出て、『夢の島』で妹と暮らす自分を、
一瞬空想したのも事実だった。

そんな会話が数刻前の事だというのに、
『夢の島』は早くも脆(もろ)く崩れさろうとしている。

後で判明した川の増水の原因は、上流のほうで突発的に起きた集中豪雨のためだった。

だがその時修海の頭上の空は青々と広がり、やはりこの状況は、悪意ある何者かの意地の悪い冗談にしか思えなかった。
もしもその悪意ある何者かが、神であるとするなら、小春日和の優しげな表情の裏側でこんな悪戯をして喜ぶそ奴は、
相当にねじ曲がった奴に違いない。

だがそんな奴が神だとしても、今、修海は祈らずにいられなかった。

ただ、妹を助けてくれ、と。

その願いを嘲笑うかのように、島は濁流に削られ壊れながら、見る見るその姿を水底へ没しつつある。

おにいちゃーーん!

妹が悲鳴を上げながら、川面に向かって傾いていく小さな樹にしがみついた。

「助けなくちゃ....」

妹の泣き顔は、見たくない。

水に対する恐怖も忘れて、修海は濁流の中に踏み込んで行った。
危うくバランスを崩し倒れそうになりながらも、上体を折り曲げて何とか持ちこたえる。

「助けるんだ!」

決然と叫び、なおも進もうとする少年の右肩を、何者かが背後から強く掴んだ。

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