《MUMEI》

その旋風の左肩を背後の誰もいないはずの副操縦席から、ギュッと掴む感触がした。

『逃がしちゃ駄目だよ、旋風!』

息が耳元でかかるほど近くで、幼い少年の声が喋りかけてくる。

コクピット内で焼け焦げた臭いが一気に強まった。

『殺して!殺してよ!仇をとってよ!』

左肩を掴んだ手指が旋風の左上腕を伝わって 、ゆっくりと這い下りてきた。
覆い被さってくる相手の髪の毛が甲(かぶと)に当たる微かな音がした。
旋風のバイザーの下をぬるぬると汗が伝う。
焼け焦げた少年の腕が視界に入ってくる。
今その腕は指をゆっくりとうごめかしながら、旋風の鎧(よろい)の左手甲に向かっていた。

「駄目だ!あいつは違う!」

『違わないよ....仲間さ!
僕らの村を焼きつくした奴らの仲間さ!』

もうしわけ程度に肉のこびりついた、
白い骨を露出させた手指が左手甲に重なると、そのままずぶずぶとめり込むように沈んでいき、旋風の左手と一体化した。

すると旋風の意思を無視して左手は操縦捍を離れ、前方のコントロールパネルの上を走る。
インプロージョン・サンシャインから
、誘導ミサイル発射モードへの切り換え の為に。

「やめ....るん...だ」

ゴールドウィンドの嘴(くちばし)から突きだした砲塔が奥へ引っ込むと、今度は機体の下部で左右対称の位置に丸い穴がふたつ開き、誘導ミサイルの発射口を覗かせた。
バトル・スカイ・シップに対してはシールドを張られれば効果の無いミサイルも、脱出挺相手なら充分にその威力を
発揮する。

ドドドドドドドド!!

激しい耳鳴りが旋風の頭蓋内を谺(こだま)している。

「存在しない....お前は....
幻....だ....」

『いるよ!ほら!』

今度は右上腕を、背後から手が這い降りて来た。
左手に溶け込んだ手指と違って、こちらの方は骨は露出しておらず、たっぷり肉を付けている。
皮膚の無い、筋肉組織がむき出しになった赤身の腕だった。
その腕が旋風の肘から下のサイボーグ
義手まで這い降りた瞬間、筋肉が紐状
(ひもじょう)にほどけた。
紐状になった筋繊維はあるものは義手の継ぎ目から内部へと潜りこみ、あるものは外側から義手を縛りつけていく。
筋繊維の紐がサイボーグ義手の指先まで覆いつくすのに数十秒も要しなかった。

「や....め....ろ」

再び旋風は訴えたが、人間をはるかに越える力を持つサイボーグ義手さえもが内部と外部に絡みついた筋繊維によって、本人の意思に関わりなくじりじりと動かされていく。
筋繊維に動かされるままに、旋風の右手の親指がミサイルの発射ボタンの上に乗せられる。

旋風が金縛りのように自分の意思では動かせなくなった全身の中で、唯一動かせる眼球を右へ向けると、眼球の無い黒い眼窩を覗かせたミイラのような顔が、
バイザー越しに覗きこんでいるのが見えた。

『殺してーっ!殺してよぉー!』

甲(かぶと)を通してさえ遮(さえぎ)れない焦げ臭さが鼻腔(びこう)へと染みこんでいく。
否が応でも旋風をあの日へ引き戻していく。

『小僧。俺が憎いか?』

黒い顔が囁く。
その顔は彼の出自の部族伝統の、
炎をかたどった紅い刺青で覆われていた。

「憎い....ゴッドアイめっ!」

バイザーの内側ではクロスゲージの電気信号が脱出挺の姿を追って、不安定に揺れ動いている。

黒い眼窩から涙のように垂れ落ちた赤い液体が、バイザーの外側で転々と染みを作り細い筋を引いて流れ落ちた。

『殺せーー!殺せーー!』

ミイラの顔の少年は、今や絶叫していた。

その大きく開いた口は真っ暗な穴を覗かせ....まるで....
ブラックホールのように....

旋風の眼がスッと細められ、赤光した。

「殺す!」

バイザーの電光クロスゲージが脱出挺を捉え、十字スコープと重なり一致する。

発射ボタンが押され瞬発も置かず射出された誘導ミサイルが、次の瞬間旋風の
眼前で脱出挺を粉々に吹き飛ばした!

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