《MUMEI》
出会い
「君、どうしたの?左のひとさし指、何をしてて切ったの?」

突然、話しかけられて、はっと気を取り戻した。

「ハサミです。髪の毛を切るハサミで…。」

「結構、深く切ったね。でも切り口、綺麗だからちゃんとくっつくから。」

私は、恐る恐る声の主の顔を確認した。目が大きくて端正で、品のいい顔だった。にっこりと目尻を下げ、男は、私の手を取った。

「今日は、勤務終わったばかりだけど来なさい。すぐ、縫うから。」

 頭が整理されないまま、私は男の言うがままに車に乗り込んだ。車は、軽快な速度で走り、見知らぬ男の車に何の疑いを持たずに乗り込んでいるこの状況に、安堵さえ感じていた。

 車は、大きな病院に着き、男は私の手を気遣いながら処置室と書かれた部屋に案内した。

看護婦は、特に驚きもせずピンセットで丸い綿を取るとイソジンの液にそれを浸し、私の指を丁寧に消毒した。

 男は、いつのまにか白衣を着けていて、注射器を持っていた。

「そこに横になって。」

 医師の姿をした男は、ベッドを指した。言われるまま堅いベッドにあおむけになった。白い天井が私の気持ちを落ち着かせた。



 高校生の時、生理痛で保健室のベッドに横たわると眼に入る天井。その木目を数えたりしていると不思議と安心したあの感じに似ている。


「今、麻酔するからね。少しチクッとするよ。」

 医師の声が耳に心地良く、痛みは、感じなかった。天井の白い桃源郷がぼんやりとかすんだ。
「手、痺れた感じしてきた?」
何カ所か注射針を射した後に医師が尋ねた。私は、無言で頷いた。

「どうしたの?気持ち悪い?」
「大丈夫です。」
「指動く?」


 私は、咄嗟に何とか動かさないと、とんでもない事になりそうな気がして、必死に指をヒクヒクさせて見せた。

「動くね。」

医師は、そう言うと魚釣りみたいな針にテングスみたいな糸を通した。痛みはなく、チクチクした感触だった。緊張と興奮と激痛から一気に解き放たれ、私は意識が遠くなっていくのを感じた。

 気が付くと、私は処置室のベッドに寝かされていた。壁に掛けてある時計の針が深夜の一時を指している。
 

左手を確認した。左手のひとさし指は包帯が巻かれていた。包帯を外して、指を確認した。指の第一関節の丁度、中間の所に黒い糸が施され、それがとても生々しく、到底綺麗になるとは思えなかった。(傷痕残るんだろうなぁ。)そう思うと憂鬱になった。

「気が付きましたか?」

深夜のラウンドに来たらしい看護婦が優しく尋ねた。

「はい。あの…私どうしたんでしょうか?」

「貧血起こしたのよ。出血ひどかったし…。六針縫ったのよ。」

「そうなんですか?」

「ここに住所と名前と電話番号書いて、明日保険証を持って来院して下さい。後、痛み止めと化膿止め出しときます。診察券も出来てますので、お渡しします。」
 
 看護婦から薬を受け取り、私は病院を後にするとタクシーを拾い、ようやく家に帰った。麻酔が切れたようで、指に鋭利な痛みが走る。薬をぬるま湯で流し込み、再び眠りについた。けれどもなかなか寝る事が出来ない。

 何回も寝返りをうちながら道で助けてくれた医者の事を考えていた。こんな偶然ってあるのだろうか。怪我をして、たまたま道で医者に出会い病院に連れて行ってもらい手当を受けるなんて。

 世の中捨てたもんじゃないなと私は心から思った。

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