《MUMEI》
存在価値
指の激痛と今日起こった出来事に興奮したのか眼も頭も冴え、怖いくらいだ。

痛み止めの鎮痛剤を服用したにも関わらず私は、冷蔵庫からビールを取り出し一気にそれを飲み干した。

 翌日、薬の袋の住所を辿り病院に再来した。総合病院のそこは、混み合っており待ち時間もたっぷりかかりそうだ。
 
 店は、怪我を理由に三日間休みを貰った。店の床とタオルに血痕がついてたので、不審に思った店長が朝、電話をくれたのだ。大事にするようにと、さして怪我の具合いも聞かず電話を切ったのが少し寂しかった。

 自分の存在価値まで、拒絶されたようだ。きっと自分の代わりなんて吐いて捨てる程いるだろう。

「後藤リカさん。」


看護婦に呼ばれゆっくりと立ち上がった。診察室に入ると看護婦が痛みを気遣いゆっくりと包帯を外している。その間にカルテに目を通している医師の横顔をじっと眺めた。昨日と同じ白衣姿だ。


 ふと右手の細いプラチナの指輪に気付いた。シンプルで、上品なデザインだ。

「どれ。見せてごらん。」

 医師が正面向いた時に名札を確認した。松井と書いてある。一点を凝視しながら朦朧としている様子の私に松井先生は、眉間に皺を浮かべた。

「気持ち悪い?横になる?傷を見て貧血起こす人いるからね。」

 松井先生が穏やかに優しく口を開く。気遣いが心に滲みる。同じ人間なのに冷徹な店長とは大違いだ。嬉しい。子犬のように尻尾を振っている自分がいた。

「大丈夫です。」

「傷痛んだかい?」

「麻酔が切れた後、かなり痛んで寝つけませんでした。」

「指の先端は、神経がはりめぐされているからね。ハサミで切ったんだっけ?」

「はい。私美容師なんです。まだ見習いですがいらしてくれたらシャンプーしますよ。」

「ありがとう。だけどシャンプーは、抜糸終わってからにして。」


松井先生は爽やかに微笑を浮かべそう言った。  
 

 救世主。松井先生は、私の救世主……。

 テレビは、桜前線と開花予想を告げている。今年は、開花日が例年より二週間程早いようだ。

 柔らかく暖かい日差しに誘われて、街には、ボヘミアン調を意識した白いフリルのついたブラウス姿や今年流行のピンヒールにミニスカートの女達で活気ついている。


 表参道に面したこの店の通りは、OLや会社員、大学生等を中心とした若い年代層の街だ。ここから硝子一枚隔てるだけなのに外は、まるで別世界のようだ。
 

 今日も私は、朝から晩まで客の頭を洗っている。

「お湯の温度が熱いわ。」

「すいません。」

私には、特に熱いようには感じられない。

「雑誌違うの持ってきて頂戴。」

隣に新刊置いてあるんだから、自分で取れるのに。

「肩、もっと揉んでよ。凝ってるのよ。」

じゃ、指圧にでもいけば?美容師とマッサージ師の区別もつかないの?
 

 心の中は、ショート寸前だ。どうして私は、毎日身を粉にして働いているのに誰にも感謝されずに「すいません。」を繰り替えしているんだろう。

 私って、この店のいったい何だろう。

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