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《MUMEI》 征二の妻「後藤さん指名だよ。」 店長にそう呼ばれて、客の顔を確認した。 色白で、三十代前半位の上品そうな女の人だ。白のノースリーブに赤と紺と白がほどよく配置したトリコロールカラーのスカートは、上質な素材のもので、お洒落に疎い私でも高価のものだと解った。白く華奢な腕にロレックスの時計が更に彼女の洗練された雰囲気にひとやくかっていた。 「新規だからね。失礼のないように。」 店長が、裏で私に耳打ちした。 誰だろう?店では、まだカットは、やらせてもらっていない。緊張しながらシャンプー台に案内する。顔にガーゼをあて、洗髪しながら丁重に尋ねる。 「あの、どなたかのご紹介でしょうか?」 「あなたが後藤リカさん?」 「はい、そうです。」 濡れた髪をタオルドライする。鏡越しに女の顔を観察する。 「なるほど、可愛らしい方だわ。主人が気にいるのも無理ないわね。」 征二さんの奥さん! 背筋がこわばって、心臓の鼓動が早くなる。体が動かない。眼の焦点も定まらず私は、眩暈と吐き気を覚えた。 「ありがとう。シャンプー気持ちがよかったわ。お上手なのね。」 奥様は、満面の笑みでそう言った。モナリザのような気高く美しい顔で。 奥様に店が終わった後、食事に誘われた。逃げられない現実に私は、「はい、解りました。」と返事するしかなかった。 待ち合わせ場所のkホテルに到着した。 足がガクガク震える。敵意剥き出しだったみちるとは違い、表情を崩さず品良く笑う奥様の余裕しゃくしゃくな態度が余計に恐ろしかった。 それとも店の顔はよそ行きで、二人になった途端に本性を表すのか。 エレベーターに乗り十三階のボタンを押す。レストランの入口付近で、入ったり来たりを繰り返しながら私は、頭の中を整理する。もうここまで来てしまった。 後戻りは、出来ない。相手がどういう態度に出ようとも私は、毅然としていよう。いざとなったら黙秘も有効かも。そう決心して、店に入った。店内を見渡すと店は、照明が落としてあり、重厚な趣だった。L字型の店内は、だだっ広くて、奥の方にグランドピアノが置いてあった。 「リカちゃん、こっちよ。」 振り返ると奥様が親戚の子かなにかを呼ぶように親しげに手招きする。表情は、やはり笑顔だ。 奥様は美容室に来た時の服装とは違い、黒のノースリーブのドレスに眼がくらみそうな輝きのダイヤのネックレスを身に付けていた。アップに結い上げた髪が白い肌を余計に引き立てている。その姿に一瞬、頭がボーっとした。 「おなかすいたでしょう?なにがいいかしら。」 「奥様と一緒のもので、お願いします。」 まさか毒は、入ってないだろうか?この人の真意は、いったい何だろう。 「そう、じゃいつも征二と頂いているフルコースメニューがあるのよ。それで、いいかしら?」 「ここへ、お二人は、よく来るんですか?」 「そうね、月に一、二度かしらね。ここの、パスタと前菜おいしいの。」 そこへ、支配人らしき人が来て「松井様ようこそ。いつもありがとうございます。」と深々と頭を下げた。 タイミング良くそのすぐ後にボーイが食前酒を持ってやって来た。 「それじゃ、征二の子羊ちゃんに乾杯。」 奥様は、首をかしげてワイングラスを高々とあげた。そして、さも愉快そうな顔でにそれを飲み干した。酒は、それ程強くないらしく、彼女の頬は瞬く間にピンク色に染まっていた。 彼女のあまりに無防備な様子に戸惑いを感じた。私はからかわれているのだろうか。あなたなんかおカド違いよ。そう言いたいのだろうか。 「あの、用件を伺ってもよろしいでしょうか。」 「あら、ごめんなさい。気を悪くなさったかしら。征二がリカちゃんの事可愛い子羊ちゃんっていつも言うから…。今日は、二人で楽しく飲んでお話しましょう。」 嘘。 征二さんが、私達の事を奥様に話して聞かせているなんて。絶対に嘘。この人が、興信所かなんかに依頼して、調べたに違いない。私の動揺を見て楽しんでいるんだ。きっとそうに違いない。心の中の意地っ張りなもう一人の自分が「負けるな」とエールを送る。努めて平常心を装った。 「解りました。頂きます。」 一気にワインを飲み干した。 前へ |次へ |
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