《MUMEI》 弟と兄向かいに座る笹川の姿は学生のときそのままだった。 相手に合わせて指定の喫茶に入るが硝子張りの席で落ち着かない。 「まだ幼い光を一度だけ無理矢理抱いたのを境に二度と高遠家の人に会わなくなったんだ兄貴にそうやって誓わされた。 俺は睦美さんを、兄貴は光を互いに愛していたんだろうな。兄貴ほどじゃないけど代わりに抱いて紛らわしたんだ。 そう考えると俺達の屈折したものだけは平等に感じて、なんだか小気味よくて、光を抱いたことで兄貴からの劣等感がふっ切れた。 兄貴の方は分からないけれど……。 結局、俺が優先したのはプライドだった。睦美さんへの想いは光を一度抱いただけで氷みたいに溶けてしまっていた。 勿論、後悔はしていないよ。あの時の過ちがあって今の俺が存在しているから。」 元同級生、笹川寿史の思いのがけない一面だった。 高遠と彼の兄についてそれとなく聞き出すつもりだったのだが、余計に知りすぎた。 食わせ者だ、当時一緒につるんでいた中では一番無害な顔をして……。 「……騙していたな。真面目でつまらない男で通してただろう。」 俺の皮肉にも眉一つ動かさずに笹川は追加注文したアイスコーヒーをすする。 「誰しも腹の底じゃ何考えてるか分からないものだろう。 割り切らなきゃな。お前は器用そうに見えてそういう処理下手だから、まだレイに引きずられてるんじゃないか?」 笹川はいたって淡々と分析していた。グラスを傾け飲み干す。ストローの口が噛み潰されていて、見ていて不快だった。日常動作を止めることなく続けているあたり、古傷が疼くのかもしれない。 「お前の本性が見えてればもっとなにかしら対応したよ。」 「勘違いしてない?俺はお前のためにレイと婚約したんだ。俺ならいいやってレイを忘れさせるためにな。 それがどうだ、この様は。行き違って後味悪くして繋がれて未練がましくなっただけ。 レイは俺を選んだんじゃない、お前に別の人を選んで欲しかっただけなんだ。」 「……俺に何を選べっていうんだよ。」 レイの顔はどんなだったか、もう分からないのに名前を聞いただけでとめどなく感情が溢れる。 悲しいのか苦しいのか寂しいのかなんなのだろうか。 「お前と光のことは干渉しないよ、他人事だ。 ただ俺は恨まれるようなことはしてない。 涙を浮かべ喚いても、俺の指を握っていた。全て光に許されたんだ。兄貴の執着を引き替えにね。 兄貴の著書は見た?」 本当にそんなもので許されていると思っているようだった。思い込みのなんと恐ろしいこと。 「俺、お前のこと嫌いになったかも。 結婚おめでとう。」 餞別をテーブルに叩き付けて勘定を済ませて店を出た。 「ありがとう。 俺は今の奥さんよりお前が好きだけどね。」 こいつの意見には賛同しかねる。 前へ |次へ |
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