《MUMEI》
初夏の頃
 さらに記憶は続いている。
あれから私はなんとなく、井坂君をそっと目で追っていた。
どうしてだか声を掛けることはできなかった。
べつに話しかけるくらい、どってことはないはずだった。
でも…、自分の鼓動が速まるせいで、近づくことさへできず…。
当時、18や9歳になって何でこうも恥ずかしさを覚えるのかといらだったりもした。
 5月も半ばになると、大学のキャンパスにある木々は、かなり生き生きとする。
その嬉しそうに伸び伸びと葉を茂らせる姿は、私の心をも元気にしてくれるのだ。
講義中、難しい話が始まると、つい外を見てしまう。
いけないなと思いながらも、なかなかやめられないのだった。
 周りの人も、長い教授の話に疲れるとそうしていた。
黙って俯くものもいた。
教室には少し暖かい風が、細く開けられた窓から流れ込む。
気をゆるめれば、眠りに誘われてしまいそうだ。
 井坂君のことが頭によぎる。
辺りを見渡す。
その日によって見つけられなかったり、確認できるまで時間がかかることがある。
今日はすぐに見つけられた。
井坂君も窓の方を見ていて、私はどきりとした。
一瞬、目があった気がした。
慌てて目をそらした。

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