《MUMEI》
白い魚
雪がまだちらついていて紫煙を巻いたように薄暗く雲が空を埋めていた。

お世辞にも良い天気とは言えない。

毎日犬の散歩をするのが日課だ。

冬の田舎といえばだらだら家に篭るとか親の手伝いと相場は決まっている。

嫌ではない、時折例えようもなく退屈になるだけ。



犬が吠えた。
何か、雪の間を蠢いている。
菱田さん家の畑だ。


熊か?いやいや、滑らかな動きだ。

魚みたいな……


「やらかそうだね。」

人間だった。
目深に帽子を被り、眼鏡を掛けている。
背は俺のがギリギリ高い。
犬に寄って来た。
犬は俺と爺ちゃん以外にしか懐かないのに、あっさり喉を鳴らし尻尾を振っている。

「おたく、どちらさん?」

眉を潜め、つい態度で他所者に反感を示してしまう。

「忘れた」

「なんですその趣味悪い冗談は。交番に案内すればいいですかい?」

迷ったのだろうか、地元の人間ではない。
それは一目見れば分かる、纏う空気が違う。

「違う違う。綺麗な雪がいっぱい広がってたからつい寄り道してた。

そういうことしないの?

雪楽しいよね。」

言葉のイントネーション、体型、服装まではっきり区別されていた。
しかし厭味たらしいとこがなかった。

そこが厭味たらしい。

「誰に用事で?」

年齢は不詳。本人も言いたくなさそうだ。多分タメくらいだと思った。
それでも質問せずにいられない。

「今、散歩中?」

質問返しだ。
犬の腹を撫でている指や一つ一つの仕草に不思議と目が離せない。

「まあ、見た通り。
アンタ観光じゃないなら人探し?」

この年明けに何にも無い田舎に来るなんて物好きか帰郷かだ。

「お使いだよ」

口をにんまり三日月型に上げる。

「俺も散歩していい?」

男はそう言うと犬のリードを素早く奪い道なりに走った。
決定権はどうやら向こうにあるらしい。




彼は自分を【ツン】と名乗った。

「みきすね〜コイツの名前は?」

早々に俺を名指しで呼び出す馴れ馴れしさだ。


「犬は犬だろ。」

分かってもらえていない。
「俺はコイツを犬って呼んでいるけど懐いてるし、可愛がってる。
名前なんてあってないようなもんだろう、アンタがツンって名乗ってるようにさ。」


「あ 名札。」

目敏い。
名札の名前を確認して一瞬くすりと含み笑いをして、

「そうかあ、くーちゃんかお前ー。」

犬の顔を揉み解した。

「なに勝手に呼んでんだ。
ちゃんと躾ればなんて呼んでも来るから名前は無駄だ。」

「無駄なものかな?
名前は証明だよ。」

「証明?」

「自分が自分でいるための、大切な証明。」

「ツンとか名乗る奴に言われたくない。」

「大事なものはそう簡単に人に明かしてはならないってね?」

……むかつく。

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