《MUMEI》

「先輩、足引きずってませんか?」

安西に言われて気が付いた。

また足首が熱を持ち始めている。

「ここは俺達に任せて冷やしに行った方がいいですよ。」

お言葉に甘えて抜けさせて頂く。

冷たい水が流れるまで手で触れながら待つ。

体育館に篭りきりだったので廊下に出ると清々しい空気だった。

誰もいない廊下は体育館にいる皆の咆哮をこだまさせている。



「木下……」



水の流れに気を取られていたせいか突然の呼び掛けに驚く。

「……鬼怒川。」

出席番号が俺の後ろの鬼怒川が背後にいた。

クラスの中で最初に覚えたのが(七生と乙矢抜きにして)鬼怒川だ。
短めに髪を刈り上げて肩幅が広いバリバリの体育会系である。
バレー部員でアタッカーをしていて壁のように大柄な男だ。

「肩貸そうか?」

「大丈夫だよ。お構いなく」

いつの間に抜けたんだろう。心配かけたかな?
別段、痛みが酷いわけでもないからなるべく笑顔で応対する。

「足は大丈夫じゃないだろ?」

足首を思いっきり触られた。

「いったぁ……」

水呑場の縁を片手で掴んで支えようとしたが、力が抜けてへたり込む。

「……綺麗な脚してるよな」

鬼怒川の眼の奥がギラついている。

「普通だよ。」

痛い足の方の爪先を触られた。
急な事で全身が強張る。

「 痛いよ、痛い……」

両腕を掴まれて抱き寄せられた。身動き一つままならない。
隙がなく、されるがままに鬼怒川の腕の中に捕らえられた。

「思ってたよりずっと小さいな。」

腰に手が回る。

「……」

恐怖に目をがっちり閉じてしまい、聞こえてくる言葉の意味もよく理解できない。

目にかかる前髪を一抓みされてその隙間から薄目を開けた。

やっぱり怖い。

「離してくれ……ないかな」

上手く話すことが出来なかった。
体育館の空気に似て鬼怒川の胸は熱く鼓動して俺の頭の中では危険ブザーが引っ切り無しに鳴り響く。

「……なあ、木下って付いてんの?」

ブザーは大音量で鳴ってゆく。
腰に置かれた手はスカートの中に侵入してくる。

首に息がかかり、唇が押し付けられたことに気がついてしまった。

いやだ



やだあ……

……七生!







「 痛ァ!」

耳たぶに齧りついて緩んだ腕の隙間から逃れ出た。

鉄の味が微かに広がる。
鬼怒川は噛まれた耳たぶを押さえて踞っていた。

怖くなってその一瞬振り返っただけで、痛む足を引きずりながら急いで体育館に戻る。

こんなことを誰に言えばいい?
男のくせに男に襲われたなんて情けなくて泣いてしまう。

「先輩?」

安西が寄ってきた。

「早く持ち場に戻って!」

誰にも気取られたくない。強い口調なのは自分に喝を入れたかったからだ。

七生の声がステージに響き渡る。
不思議と荒れた気持ちが穏やかになってきた。

学祭の最後の総合優勝クラス結果発表が始まっていた。



『やっぱ俺達がいっちばーん!』

優勝旗を高々と七生が振りあげている。

優勝クラスは壇上で撮影会をするのが定説だ。

やばい、平然と襲われかけた人と一緒に写真なんか撮れない。

嗚呼、皆集まって来た。

隅の暗がりへ隠れ身を潜める。


「人数が足りない」

「二郎ちゃんがいない」

ひっそり隠れる作戦がばれてしまった。

足が痛いのを理由に撮影を拒むと七生が寄ってきた。なんだよ、叱るのか?

七生は俺の前に佇んで何も言わない。
黙ったまま腰を持ち上げられた。


「あっ……!」

浮遊感がする。
驚きのせいで上擦った声が出た。

「降ろして!」

これは世に言うお姫様抱っこだ。
七生のやつ自由がきかないのをいいことに好き勝手なことをする。
皆の視線をもろともせずにステージに集まるクラスメイトの座っている列のど真ん中へ放り込まれた。

七生が俺の後ろに立つ。

鬼怒川はいつの間にか最端に合流していて俺と離れているから少し安心した。

真後ろに七生がいるからというのもある。

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