《MUMEI》

樹は居心地の悪さを感じていた。誹謗中傷の嵐に自然と彼に近付かないという暗黙の了承。教師達も素知らぬふりで関わろうとしない。


せめてもの救いはその現象が弟、静流に起きていないということだった。

計画されていたかのような秘密の露呈に猫の死体を機に始まった若菜の無言の威圧。樹は見落としがないか若菜へに注意を払った。
自信がある。樹の体で殺せるはずないのだ。




   ガラ




一瞬で空気が変わる。

斎藤アラタが2時間遅れで登校してきた。

誰もがその存在感に魅入られ、頭を下げる。一般人が王の姿を一目見んとする様にも似ていた。
風の如く軽やかに、しかし人が目で追う方向で歩く軌跡がつく。


「………………」
何も聞こえないと言った面持ちで斎藤アラタは樹の前に留まった。

樹はまさか自分の前で止まるとは思ってもいなかったので、その場に蛇に睨まれた蛙を再現する羽目になってしまう。

一種の催眠でもかけれるのかアラタが樹を見る視線は独特だった。
見たものを吸い込む魔的な瞳が樹をただただ見下す。

竜巻の中心のような静けさ、そのど真ん中に樹とアラタがいる。

静かに通わせる視線が窒息しそうな空間密度を作り出していた。
何かを待っているのかアラタはその場を微動だにしない。

「……おはようございます。」

強迫めいた監視員の囲いで樹がやっときけた口が発した言葉はそれだった。

樹の言葉を聞くアラタは黙りこくる。

会話は無いが席に着いた。
樹は【正解】したと受け止めた。
アラタは何事も無かったかのようにただそこに留まった。時折ゴム手袋の指を動かしたり窓をぼんやり眺めたり、同じ日常動作さえも夢うつつに思わせて。

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