《MUMEI》

道場にクーラーは無い。

蒸した大気を逃がすには、窓を全開にする以外には無い。

道場は他に柔道、合気道も使用していて毎週月水は空手部が使い、それ以外は他の道場を借りていた。

月水はバイトも休暇を取り樹も参加するようにしている。

実際は一人で型の練習を隅でしていたにすぎない。


額から流れ出た汗は胴着の襟を湿らせる。大窓に樹は静かに近付いて型をまた繰り返す。
それが樹の部活動だった。

大窓からは微風が裏庭の丈の長い草を揺らす。へばり付く額の髪は動かさずとも汗は促した。
明日は雨と予感させる湿気である。

鈍い思考に樹の脳髄は溶けてゆきそうだった。


そのせいで、樹は彼を脳内麻薬が生み出した幻覚と想った。



ぼんやりと窓から見える裏庭の隅に亡霊か何かのように斎藤アラタが佇んでいる。

いつもより薄着で、アラタの前は大きく開け、素膚の半分を露出していた。

色香を漂せながら隅で樹を見ている。肌のせいか、いやでも首に這う赤い鬱血が目に入ってしまった。紐でも括られたような痕だ。



アラタに見られると樹は自然と鼓動が早打ちする。
動揺を察知されないよう突きの練習にした。

今、斎藤アラタが 目の前に存在しているという事実を察知されないように。

樹がアラタのものであることは秘密だからだ。

下賎な人間がアラタの下にいたと知れば確実にアラタの立場も悪くなり迷惑がかかる。

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