《MUMEI》

「林太郎君!早くから大変だったろう?」

入って直ぐの広間では春三が出迎えていた。

「いえ、こちらこそ。お世話になります。」

まさか、林太郎はこの歳で貴族の養子に貰われるとは思わなかった。

新しい環境に行くことを躊躇われた林太郎を考慮し、春三は強要をしなかった。ただ、診察ついでに会話を交わすのだ。
欝陶しいとも思えたが、彼は医師としての確かな腕とおおらかさがあった。

診断する度に林太郎の生い立ちを未だ識らぬ父と重ね合わせては熱心に話を聞く春三は陰気でなく、どこか懐かしかった。

北王子家へ養子の話が持ち上がったときも、林太郎は嫌で堪らなかったが、結局、春三の心遣いに解きほぐされてしまう。

林太郎にとって氏永に何の未練もない。ただ、男爵家の看板は荷が重かった。
圓谷の方が幾分か気が楽でもあり、北王子に棲む条件で春三の養子という形に修まった。

後に林太郎は思い知ることになるのだが、圓谷の姓を名乗らせたのは現在は次男で北王子家を纏めている真造への体裁もある。

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