《MUMEI》
◇◆◇身代わりの定め
◇◆◇

花の舞い散る、望月の夜──。





 胡蝶は、妙な物音で目が覚めた。

「こんな夜更けに‥牛車‥?」

 そう、牛車だ。

 それはゆっくりと近付いて来ると、表へ出向いた胡蝶の前で止まった。

 そして、中から若い女房が姿を現し、胡蝶に話しかけてきたのだ。

「お迎えに上がりました」

 女房はそう言って胡蝶を牛車へと招く。

 だが胡蝶は何が起きたのか分からない。

「あのう‥‥人をお間違えではありませんか」

 きょとんとして胡蝶が尋ねると、女房は優しく微笑んで答えた。

「いいえ、貴女に間違いございません」

「どういう‥事でしょうか‥」

 すると女房は言った。

「貴女に──姫君の身代わりをお願いしたいのです」

「え‥‥」

 それは、あまりに突然の事だった。

 胡蝶は呆然として立ち尽くす。

 自分に姫君の身代わりなど、出来るはずがない。

 だが女房は続ける。

「どうか、お願い出来ませんか」

「そんな‥私には‥とても‥」

 恐れ多いとばかりに後込む胡蝶。

 すると女房は済まなそうな表情になり、言った。

「驚かせて済みません。ですが、貴女は姫君にとても良く似ていらっしゃる‥」

「姫様に‥?」

「──はい。私はあの日以来、都中を回り、姫君の身代わりをなりうる人を探してきました。そしてようやく、貴女に巡り会う事が出来たのです」

「‥‥‥‥」

 女房の必死な様子に、胡蝶は胸騒ぎを覚えた。

「姫様に‥何かあったのですか」

 こくり、と頷いて、女房は言った。

「六日前の事でした‥。御出かけになられた姫君は‥突然、姿をけしてしまわれて‥」

「──!」

 胡蝶は息をのんだ。

(まさか‥そんな‥)

 姫君の身に、何が起きたというのだろうか。

「姫様は‥何故‥」

「それが‥誰にも分からないのです。‥くまなく捜索はしているのですが」

「‥そう‥ですか‥」

 未だ困惑する胡蝶に、女房は深々と頭を垂れる。

「お願いします。姫君が戻られるまで、身代わりを務めては頂けませんか」

 夜風が吹き抜け、花を散らす。

 月明りに浮かび上がる、冥夜の帳。

「本当に‥私で良いのですか」

「姫君の身代わりを出来るのは‥貴女しかいないのです」

「‥」

 胡蝶は刹那の間を置いて答えた。

「分かりました。お役に立てるのなら‥喜んで」

◇◆◇

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