《MUMEI》

その場に現れたのは静かすぎる沈黙
だがすぐに、中川の嗚咽する声が聞こえ始める
「中川?」
深沢は泣きだしてしまった彼女の顔を覗き込み
その頭に手を置くと、若干手荒く撫でてやって
その内に、中川の声が、ごめんと唐突に謝罪の言葉として鳴った
一体何の謝罪なのか
深沢には分かりきっていた
「……なんでテメェが謝る必要がある?別にテメェが何したって訳でもねぇだろ」
「でも!蝶さえ、幻影さえ無かったらこんな事にはならなかった。深沢だって奏君だって、こんな目に合わずに済んだのに!」
感情の赴くままに胸の内を吐いて散らす中川
彼女は常に罪悪感に苛まれていたのだろう
自身の父親が高宮と共謀し、幻影 陽炎という異質な蝶を造りだし
深沢から家族を、そして人としての当然の死をも奪ってしまった事
そして滝川も、陽炎の依代とされ未だ永遠と死の挟間を彷徨う羽目になってしまった事への謝罪
深々しく頭を下げる彼女へ
深沢は微かに顔を緩ませると、また彼女の頭の上へと手をやった
気に病む必要など無いのだ、と
「テメェはよくやってくれてるよ。それだけで充分だ」
「……深沢」
「帰るか、流石に草臥れた」
普段通りの深沢へ、中川にもようやく笑みが戻る
帰路へと着いて
深沢と並び歩く中川が、深沢に背負われ眠る滝川の額へと、徐に手を触れさせた
「奏君、大丈夫だよね?死んじゃったりしてないよね?」
不安げに、そして切に問う中川
その直後に滝川が僅かに身じろいで
ようやく互いに安堵することが出来た
「……じゃ、私帰る。またね深沢」
努めて明るく言った後、彼女は自宅へ
暫くその背を見送って、深沢達も家の中へと入り
滝川をベッドへと寝かせてやった
「……今回は、きちんと守ってやれたと思うか?」
その横へと腰を下した深沢が、徐に一人呟きながら
普段は持ち歩く事をしていないシガレットケースをヘッドボードの上から取っていた
中に入っていたのは煙草ではなく
二匹の、蝶の骨組だった
(やはり、病人の身体では骨までしか出来ませんでしたか。幻影の蛹、勿体ないことをした)
思い出してしまう過去
妻と子供、二人を失ってしまったばかりの深沢へ、高宮が浴びせた言葉
手術台のうえに横たわる二人を、役に立たない実験体だったと笑い去って行ったあの時
今に思い出し、その記憶は吐き気へと変わり深沢へと襲いかかった
口元を手で覆い、蹲る深沢
不意に、服の裾が引かれる感覚があった
滝川の手
しっかりと握りしめ離す気配はなく
その手は、深沢に失ってしまった温もりを思い出させる
胸の内が段々と苦しくなり
深沢は滝川の腕を掴んでその身を起こすと強く抱いていた
自分はこの少年に一体何を求め、望んでいるのか
自問し、だが自答出来ないその答えを彼に示して欲しかったのかもしれない
「……奏」
耳元で呟く深沢の声
その声にまるで反応するかの様に
薄く開いていた唇から、淡く光る何かが現れた
ぼんやりと全身を見せたそれは一匹の蝶々
それは、滝川に寄生した陽炎で
何かを探すかの様に飛んで遊び始める
陽炎が探すのは多分幻影
自身の番となる相手を探し、唯々辺りを彷徨うばかりだ
ひらりひらりと飛びながら
陽炎は深沢の内の幻影を感じ、その存在を求め深沢の唇へと停まる
眼前に真黒の羽根が広がり
その黒の奥に、何かが見え始めた
見えるそれは、まだ幸福だった頃の過去
何故にこんな現象が現れたのか
それはおそらく、蝶が見せる幻で
もしかしたら深沢に対する同情の念が、この蝶にあったのかもしれなかった
(望さん、せめて眠る時位はいい夢を)
懐かしい妻の声が耳の奥
聞こえたかと思えば唐突に、ひどい眠気におそわれる
段々と瞼が落ちて行き、深沢は滝川の横へ倒れる様にして眠り込んでしまった
それから暫く後に
滝川がゆるりと目を覚ましていた
「……俺、助かったんだ」
己が身に起こった事をどうやら覚えているらしく
自我を取り戻した事で、その記憶が更に明確な物になっていた
恐怖心からか、滝川は無意識に傍らで眠る深沢へと手を伸ばし
その存在を確かめるかの様に頬へと触れていた

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