《MUMEI》

「迷わずソコに行けるように連れてってやるよ。それから先は、アンタ次第だ」
笑みを含んだ声
瞬間に目の前が白濁へと染まり
ようやく視界が戻った時には、花魁の姿は既になく
雪月は一人、見知らぬ街の中に居た
「ここが、魂魄の街、か」
辺りを見回して見れば、だが見える景色は普通の街のソレで
とりあえずは辺りを見て回ろうと目的もなく歩くことを始めた
魂魄の街
その様子は名に相応しくなく、魂であるはずの死人達が、ここでは生き人と何ら変わらぬ姿で生活を営んでいる
「おや、お兄さん。見かけない顔だね、新入りかい?」
歩く最中、軒先にて洗濯をしていた女性が気さくにも声を掛ける
足を止めた雪月へ
何十にも束ねられた赤い花をなぜか見せてきた
「この花は?」
その意図が分からず小首を傾げてみれば
女性の肩が僅かに揺れた
「それは沙羅双樹の花だよ。お兄さん、この花を知らないのかい?」
「はぁ……」
「珍しいねぇ。ここに住んでてこの花を知らないなんて」
「面目ないです。何せここに来たばかりなので」
困った風に笑って見せると、女性は笑みを浮かべながら街の最奥を指で差して
「なら沙羅双樹様に会ってくるといい。あの方はいい方だ。私達の様な死人に居場所を与えて下さったんだから」
行ってみな、との声
指された方をまじまじ眺めながら暫く後
この場で立ち往生していても何も変わらないと思ったのか、雪月は行ってみる事に
整備が成されていない歩きにくい道をひたすらに歩き、着いたソコには
まるで廃墟かと見紛う様な家屋が一棟、密やかに建っていた
そこには一際大量の花弁が積もっていて
見るには美しい情景
暫く足を止め、その様を眺め見ていれば
家の戸が、静かに開いた
「……よう来た。待っておったぞ」
そこから現れた一人の女性
穏やかに雪月へと言って向けながら、彼の頬へと手を伸ばす
触れられたその瞬間、ひどい違和感に苛まれ
相手との距離を取っていた
「どうした?妾が怖いかえ?」
あからさまなその行動に、女性は僅かだが顔を伏せながら
だがその口元には笑みが浮かぶ
雪月は何も答えぬまま、唯無言で相手を睨めつけるばかりだ
「……恐ろしい顔をする。お前、それ程までにあの娘を助けたいのか?」
あの娘
その言葉が指すのは雪乃で
その為にここへ来たのだとの雪月に、相手は更に笑みを口元に浮かばせる
「……あの娘の魂、返してやろうか?」
嘲りを含んだ声
目を見開いた雪月へ、
沙羅双樹の手が着物の袷を掴みながら
「扉は、開かれた。もうあの娘などに用はない」
その唇が嫌な笑みに緩む
同時に手の平へと押しつけられた何か
見ればそれは枯れ果てた花弁
彩りも既になく、見るに惨めなモノだった
「……帰るが良い、現所へ。お前が守るべき者の所へ」
沙羅双樹の声をまるで合図に、大量の花弁が辺りを覆い尽くす
視界には花の彩りしか映らず唯々降って散る
ようやく止んだと辺りを見回せば、そこは屋敷の庭先で
すぐ様雪月は走り出し、雪乃の姿を探し始めた
「雪乃!居るんですか!?居るなら返事を―」
屋敷中に響く雪月の大声
襖がゆるりと開き、そこから雪乃の母親が姿を現す
「雪月?何かあったのですか?そんな大声で」
驚いた様な顔をしながら、だが彼女からは何の焦りも見受けられない
あれ程までにうろたえていた筈なのに
一体どうなっているのか、と益々胸の内ばかりが焦った
「奥方様、雪乃は―!?」
「そんな大きな声では雪乃が起きてしまいますよ。せっかく寝付いたばかりなのに」
喚く雪月へ、人差し指を唇に当てながら向きなおったその先に
雪乃の姿はあった
穏やかな寝息を立て縁側にて眠る雪乃
全ては何事もなかったかの様に何もかもが平穏だった
「……雪乃?」
雪月の羽織を布団代りに眠る雪乃の傍らへと片膝を落とし、微かに声を掛けてみれば
その眼が、ゆるりと開かれる
まだ眠た気な、ぼんやりとした顔
それでも雪月を見るなり満面の笑みを浮かべる
「雪月、見つけた」
かくれんぼでもしている夢を見ていたのか
雪月の袖を掴む雪乃は、とても満足気な顔をしていた
変わらないその笑い顔に、雪月は心底安堵し、雪乃の身を抱く
「どしたの?どこか痛いの?」

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