《MUMEI》

卜部先輩は鈍感だからそんなの全く気付かないと思っていたが。

鬼久保が真っ赤にしながら振り切る姿を赤面症だと勘違いして面白がる男でも何か胸を打つようなことをしたのだろうか?

鬼久保が恋していると確信したのは鬼久保が卜部先輩と二人で話しているのを垣間見たときだった。





いつものように弥一は講習を受けている俺を部室で待っていてくれてて、卜部先輩は木炭でキャンパスに下描きしていた。

「ヤイちゃん、木炭転がってっちゃった。」

「拾いますね」

鬼久保はボールを投げられた犬みたいに木炭へ目掛けて走る。

「ヒロミに入れておいて」

ヒロミは某大物億千万アーティストのプリントされた缶ケースのことを指す。
入部当初からヒロミと呼ぶのは美術部員のステイタスだった。

鬼久保は真っ二つになった木炭を拾い、ヒロミに戻しに行く。

ヒロミに木炭が一つ落ちる音がした。

音は一つだけだった。

もう一つの小さな木炭のカケラは鬼久保が練りゴムで大切に包まって彼の掌の中に握られていた。



そのとき鬼久保はうっとりと手を握り直していて、目つきが心酔している相手への慕情で満ちていた。

そういうのに囲まれている俺が思ったのだから間違いない。

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