《MUMEI》

「‥‥なおひろは、」

恋人の顔を覆う細い指の隙間から震える声が漏れる。続く言葉が何となく想像できてしまったが、その瞬間俺は何故か急激に冷めた。淡い冷房が足先から染み渡ったのかと思うくらい自分でもよくわからない、しかし確実な沈静化。

何が沈静化した?俺が知るか

恋人がゆっくりと顔をあげる。すでに腫れだしている目蓋の赤、鼻水をすすり上げる鼻、醜く充血した目は、
今まで見たこともないほどに憎悪の色を宿していた。

「もう好きじゃないんだね」

ああ、そうか
俺はコイツのこと好きじゃないんだな

彼女がそう言ったのは俺の言動から予測してのことなのに、なぜか言われた俺のほうが正解をもらったような気がした。

冷気を吐き出す冷房の音、恋人がくぐった扉の締まる音、遠くの終電の音。
何より大きな音をたてて、赤茶色に錆付いた歯車が自然な顔のまま崩れ落ちた。

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