《MUMEI》

2階に上がる前にコーヒーを煎れた。


母は生前、冗談まじりに言っていた事がある。


「私が死んだら熱いコーヒーを煎れてね。」


笑顔でよくそんな事を言うよ、とオレは思い出していた。


使い古された花柄のマグカップ。


色の剥げたスプーン。

幼い頃から見覚えのある物ばかりだ。


幼い頃から見てきた物。

その全てから決別しなくてはならない。


なぜ、
多くを手放さなくてはいけない?


なぜ、
多くを失わなくてはならない?


理性などとっくに色褪せた。


空になる心を満たすものはなんだ?


もう何も考えられない。


オレは夢中でコーヒーを煎れる。


繰り返す思い出は在りし日の母。


決して弱音を吐かず、
決して弱い部分を見せない在りし日の笑顔。

感情が爆発するのを殺しながら、
オレは、目の前のマグカップにお湯をいれた。

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