《MUMEI》
◇本能と理性の狭間で◆
俺はこのあとどうするか、本能ではわかっているのに、体が思い通りにならない。
喉がからからに渇いている。
気を紛らすように話す。

「さむない?」

夏生の体が熱ってるのはわかっていた。

「ううん、大丈夫。暑いくらい。」
「…煙草、吸っていい?」
「うん。」

俺は上着を脱ぎながら、冷蔵庫へ近付いた。
中から缶ビールを取り出す。

「飲む?」
「ううん。いらん。」

夏生は、ソファに腰を下ろした。
俺も夏生の隣に腰を下ろし、ネクタイを緩めた。
上着の胸ポケットから、煙草とライターを取り出す。

「それ、私がプレゼントしたやつ?」
「うん。大事に使ってるで。」

それは夏生にもらった、たったひとつのプレゼントだった。
シンプルなシルバー製のライターで、小さくゴールドのイニシャルが浮かんでいる。
夏生からのプレゼントということはもちろんだが、そのシンプルさが気に入っている。

夏生の胸元には、俺が選んだたったひとつのプレゼント、三日月の形のネックレスが揺れていた。
フランスに出張したときに買ったものだ。
アンティークゴールドをベースに、夏生の誕生石であるルビーがひとつ、小さくセットされている。

「つけてくれてるんやな。」

自分の鎖骨のあたりを指差しながら、俺は夏生を見た。

「うん。お気に入りやねん。」

夏生は嬉しそうに微笑んだ。
夏生は化粧映えのする顔立ちだ。
シンプルなメイクなのに、顔のそれぞれのパーツが際立って見え、それでいてバランスが取れている。
俺は、今ここで何もなければ、夏生と永遠にこんな会話ができるような気がした。

不意に夏生の香りが、俺の鼻孔をくすぐる。
俺が初めて夏生を意識したときと、同じ香りだった。
知り合いの調香師につくってもらった、と言っていた。
月下美人をベースにしているそうだ。
月夜にひっそりと、芳しい香りを放ちながら咲く花。
今の夏生そのものではないか。

俺はもう、本能に逆らえなくなっていた。

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