《MUMEI》 ◇背徳の甘能◆「ひと口、もらうね。」 そういって私は、缶ビールを取った。 「ん、ああ。」 煙草をくわえてはいるが、千秋の心は揺れているようだ。 私はバッグから携帯電話を取り出した。 「…やろうか。」 「…あ……うん…」 千秋は、上着のポケットから携帯電話を取り出した。 「…メールが…」 千秋は携帯電話を開けて、メールを見た。 ふぅ、と千秋は溜め息をついた。 私が携帯電話に目をやると、千秋は画面を私のほうへ向けた。 そこには可愛らしくデコレーションされたメールが表示されていた。 「こんなんが一日何通来ることか。付き合ってる頃はガマンしてたけど、もうええわ。」 千秋は少し苦笑った。 「そんだけ千秋のこと、好きなんやな。」 私は今からしようとすることが、どんなに彼女を傷つけるか、今更ながら胸が傷んだ。 「…開いたで。」 千秋は私の電話番号とメールアドレスを見せた。 私も携帯電話を開いて、千秋の電話番号とメールアドレスを出した。 「…交換しよか。」 私達はお互いの携帯電話を交換した。 私は少し笑いながら、千秋に言った。 「これ何?」 私の名前は“鬼部長”になっている。 「え?ああ、それな。ヘンに名前つけてると、勘繰られたりいろいろ面倒やし。夏生こそ何やねん、この名前は。」 千秋の名前は“間違い”で登録していた。 「まさかの時に備えてやん。結構間違い電話かかってくるし、それは知ってはるから。」 私達は顔を見合わせて、しばらく笑いあった。 今日が終わっても、また会えるような錯覚に陥る。 (…いや、約束はやっぱ守らな) 「…消すで。」 「…おう。」 機能メニューから、電話帳の削除を選んだ。 削除確認のメッセージが表れた。 少しの間、画面を見つめていたが、“yes”を選んだ。 千秋も、削除したようだった。 「…はい。」 携帯電話を折りたたんで、私は千秋に渡した。 千秋も携帯電話を返してくれた。 私達はしばらく、じっとしていた。 二人でいるのに独りのような、寂しい感じだった。 千秋は煙草に火をつけた。 ゆっくりと、煙を吐きだす。 私は千秋の肩に頭をもたげた。 千秋は私の肩に腕を回した。 お互いに、体温を分けあった。 「今日は、何もためらわんわ、俺。」 呟くように、千秋が言う。 「だから、夏生もためらうな。」 前へ |次へ |
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