《MUMEI》

 「お母さん、私、散歩行ってくるね」
雪月により桜の門扉が閉じられてから15年の歳月が経とうとしていた
世はまるで何事も無かったかの様に平穏を取り戻し、雪乃も齢18になっていた
だがいくら時が経とうが雪乃は雪月を忘れる事はなく
毎日のように散歩に出掛けては、もしかしたら彼に会えるかも、と儚い期待を抱いてしまう
その雪乃の胸の内が分かるが故に、母親は居た堪れない思いだった
「雪乃」
走り出そうとする雪乃へ母からの声
首だけを振り向かせた雪乃は何かを問う
「気をつけて、行くんですよ。それから、あまり遅くならないように」
「分かってる。行って、くるね」
努めて明るく返し、雪乃は出かけて行った
桜の木が立ち並ぶ表通りを一人歩きながら
降る薄紅に、やはり彼を思い出してしまう
「……帰ってなんて、来ないのに」
諦めが悪すぎる、と己を笑いながら
途中の露店で足を止め、束売りされてた榊を一束購入していた
そして向かうは墓地
あの騒動の後、消えてしまったと聞かされた雪月の墓石を此処へと建てたのだ
毎日の様に通っては彼の前に手を合わせる
「ね、雪月。私、大きくなったでしょ?大きく……」
訪れては涙し、墓石へと縋りつき泣く声を上げる
「雪月!会いたいよ……!」
想えば想う程に
彼の存在を求めてしまう
無いもの強請りとわかっていながらも、求めずにはいられなかった
「……本っ当、愛されてるねぇ。私の(兄貴)は」
溜息混じりの声が背後から
雪乃は慌てて顔をあげると、袖で涙を拭いながら声の主へと向き直った
そこに月花が立っていて
雪乃が落としたらしい榊がその手には握られていた
雪乃の横へと膝を折り屈むと、その榊を墓石の前へと活け始めていた
その横顔を眺めていた雪乃は、一度会ったきりなのにも関わらず思い出したらしく
身を正し深々と一礼する
それを月花が止めるよう促し、砂埃の付いた裾をはたいて
涙で赤くなった雪乃の眼元に、月花の指が触れた
「……(約束を破ってしまって御免なさい。大好きです)」
散り際の彼の言葉を今更に伝えてやれば
弾かれたように顔をあげた雪乃が月花を見やる
「アイツが、アンタに向けて言った言葉だよ。ごめん、ずっと伝えられなくて」
申し訳なさげに頭を下げてくる月花
雪乃は更に涙を深くし、だが首を横へと振って返していた
言葉は声にならず首を振るばかりの彼女へ
突然に、強い風が桜の花弁を吹き付ける
その花雨の奥に、雪乃は何かが見えた気がした
月花も同様だったらしく、その口元が僅かに緩んだ
「……ようやく、直ったらしいね」
一人呟く月花へ
雪乃は何の事かと顔を見やって
その雪乃の背を月花は押していた
「行きな」
「え?」
「神社前の鳥居だよ。ほら早く!アンタの大事なもの、迎えに行ってやんな」
「……大事な、モノ?」
「考える前にさっさと行く!」
急かされ訳が分からないまま雪乃は取り敢えず走り出していた
胸の内が段々と高鳴っていって
一体、自分は何を期待しているのか
彼がいる筈など無いというのに
それでも期待してしまう自分が此処に居て
たどり着いた其処は、一際多くの薄紅が散っていた
大量の花雨に視界が遮られ
だがその隙間から
鳥居に凭れ、眠り込んでいる人影があるのが見て取れた
「……雪月」
その影は、雪乃が10年もの間待ち続けた男のソレ
彼の前へと膝を崩し座り込むと、その頬へと手を触れさせる
感じる彼の温もりに
雪乃の両の目から涙が溢れ出した
「……泣かないで下さい。雪乃」
その涙を拭ってくれる手の平に、益々涙が止まらなくなってしまう
「大きくなっても、泣き虫なのは変わっていませんね」
困った風に笑うその顔も10年前となに1つ変わらず
雪乃は雪月の着物の袷を強く掴むと声をあげ泣き出してしまう
「……寂しかった。ずっと、ずっと寂しかった!」
幼子の様にぐずり出してしまう雪乃
微笑む事はやめず、雪月は雪乃をその腕の中へ
抱いてやり耳元で、ごめんなさいと低音を呟いた
「もう、何所にも行かない?ずっと私の傍に居てくれる?」
居てほしいのだ、と言外の訴えに
雪月はゆるりと頷いて返していた

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