《MUMEI》

「な、なぁに?父さん」


私は一人でトイレの前に立っていた。


「…俊君、トイレ?」


「う、うん。私の後に入ったの」


「なぁーんだ」


父が安心していると、俊彦がトイレから出てきた。


そして、平然と、『どうしたんですか?』と父に質問した。


(もうっ…)


私はまだドキドキしているのに、俊彦は余裕があった。


しかし、意外にも、俊彦の体は余裕が無かったらしく…


父が去った後、俊彦は前傾姿勢になり、再びトイレに入った。


以前とは違い、私はその行動の意味を知っていた。


「私…いない方が…」


「い、い…いて。その方が、…早く、済むから」


「でも…」


扉越しに、私がいても俊彦の役に立つとは思えなかった。


「蝶子ッ…」


「何?」


「…そこに、いる…よな?」


「いる、よ?」


「も、どこにも、…行かない、よなッ…ハッ…」


扉越しに、より一層切ない俊彦の声と吐息が聞こえた。


「…行かないよ。
ずっと、側にいるよ…俊彦」


私は、そんな俊彦を心から愛しいと思った。


そのすぐ後にトイレの流水音が流れ、俊彦が出てきた。


そして、私達はまた手を繋いだ。

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