《MUMEI》

「彼女と絵を速やかに返して下さい。」

拳銃を向けながら林太郎は指示した。


「無礼な奴だよ、此の絵は私が描いたものだ。」

庭師の湾曲していた背筋は張り、陰だけでは老いを感じさせない。
そして続けた。

「私は二十年前、十の頃、下男として北条家に雇われたのだ。そして、そこに居た乙女に恋い焦がれた。……描いてしまう程に。」



其れが、絵に描かれた貴婦人だったのだ。


「……貴方は、何故こんな……」

つまり五十代に見えた庭師は三十だったことになる。


「彼女は私を見ない、其れ処か逢って間も無い男と失踪したのだ。

生きる希望を無くし、彼女を憎み寒空の中歩き回り凍えて身も心も枯れ果て、顔迄醜く成っていた。
そして彼女の居た此の屋敷に身分を偽り庭師として働いた。

此の女を見たとき、菅沢を見た時思い出されたのだ……かつて、彼女を手に入れんとしていた自分を。
淡い恋慕が愛憎として再び息を吹き返した。
私は此の女を殺してあの人を手に入れてみせる。」

林太郎はせせら蚩う庭師の男が人では無い、何か恐ろしいものに感じられた。
もはや、正気を保っていなかったのだ。


「彼女は無関係だ、離して下さい。」

林太郎の言葉に庭師が豹変した。




「……貴様、識っているぞ、忌ま忌ましい。」

林太郎に真っ直ぐ刃が向けられた。
彼は林太郎が撃てないと理解していたのだ。

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