《MUMEI》
井戸の前で
いつからだろうか。

朝早くに起きた里美は、自宅の近くの空き地の前に立って、最近建てられた粗末な小屋を見ながら、そう考えていた。

小さく寂れた街の一角に、その空き地はあった。

古い井戸と、水を汲み上げるためのポンプだけだった空き地に、いつの間にか三十代くらいの男が住み着き、どこから集めてきたのか、材料を集めて小屋を建て、生活を始めた。

男は、小屋に真とだけ書いた表札をさげ、小屋の近くに、井戸はご自由にお使いくださいと看板を立てた。

付近の住人が井戸をよく利用していることを知っていたのか、男は、井戸の利用に差し支えのないように配慮するかのように、小屋には寝に戻るだけで、昼間は何をしているのか、朝早く出かけ、夜遅く帰り、食事や家事も、外で済ませる生活をしている。

ただ、毎日朝早く起きて、すぐに井戸水で顔を洗った。

顔を洗っている時間に、里美や近所の住人は男と顔を合わせるようになり、会話するようになって数日が過ぎた。

『まーさん、おはよう』

里美は、小屋から男=真が出てきたのを見て、声をかけた。

『おはよう、さとさん。今朝も早いね』

真は、声のした方向を向くと、まだ眠そうな顔をしたまま、里美に挨拶した。

『うん、昨日早く寝たから。まーさんも早いね』

『そうかぁ。早寝早起きは、得すると言うから、いいことだよ。俺は、仕事だから強制的に起きさせてるよ』

真は、ポリポリと頭をかきながら、井戸の前に立ち、水を汲もうとした。

『ちょっと待ってて』

里美が井戸に駆け寄る。そして、井戸のレバーに手をかけると、力強く下に下ろした。

ざぶざぶと、水が汲み上げられる。真は、両手で水を受け止めながら、しんしんと冷えた水で顔を洗った。

『いやぁ、冷えてるなぁ』

真は、ズボンに挟んだタオルを取りながら、少し震えた声でそう言った。

『もう少しで12月だよ。冷たくて当たり前』

里美が笑いながら返す。

『12月かぁ、じゃ、もう土の中も冬だな』

真が、顔を吹いたタオルをパタパタと振りながら、目が覚めた表情で里美を見る。

『冬なら、水も空気も冷えるかぁ』

ニッコリと笑いながら、真はそう言った。

里美は、うっすらと苦笑いを浮かべながら、空を見上げる。

まだ、夜があけきっていない空は、薄い灰色をしていた。

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