《MUMEI》
最後のスタンディングサム
 俺は典子の耳に小声で言った。

「おい、先生を呼んでこい」

「え?」

「いいからすぐに呼んでこい!」

病室を出た典子の足音が遠くになると入れ替えに親父の体を発作が襲った。

「あなた!」
「たっちゃん!」

「親父!先生がすぐに来るからしっかりしろ!」

親父は苦痛に顔を歪め、背中を丸める。
不規則な呼吸は時折痙攣も引き連れた。

医師と看護士が駆け込んで来て俺達に外に出るように指示を出した。

「たっちゃん!駄目だぞ、まだ死んじゃ駄目だ!」

俺はその場を離れようとしない岩田の腕を掴んで強く引っ張った。
岩田はまだ叫び続ける。

「実はな、たっちゃん、俺もあの日たっちゃんと同じように1分早くスタートしたんだ! 先に着いて、しおりちゃんに『さよなら』だけを言うつもりだったんだよ!
だからたっちゃんは勝ってた。
勝ってたんだよ!」

その時だった、苦しみに耐えながら親父はこっちに向けて右手を真っ直ぐに伸ばし、親指を力強く突き立てて見せた。





 しかし、それは俺達が最後に見た親父得意のスタンディングサムになってしまった。

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